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【広報ふじ平成27年】富士の災害史

【過去に学ぶ富士の災害史】第5回 柏原の大火による焼失

 「富士の災害史」は、過去に市域が見舞われた災害を皆さんに理解してもらい、防災意識を高めていただくため、平成25年3月に発行されました。広報ふじでは、定期的に抜粋して掲載しています。
昭和7年の柏原の大火
 昭和7年(1932年)11月14日に県内を襲った台風による大暴風雨は、当時の富士郡元吉原村に大火災をもたらしました。被害は甚大で、昭和期における市内で最も大きな火災でした。
 14日16時ごろ、風速が45メートルほどに達し、柏原小学校(現在の柏原二丁目交差点付近)の2階建ての木造校舎が倒壊。19時ごろ、西柏原で突然火の手が上がると、猛烈な西風の影響で、旧東海道筋に沿って東方の民家に燃え広がりました。付近の住民が協力して一時延焼を食いとめましたが、残り火が再び燃え広がり、中柏原、沼田新田、東柏原地区を焼き尽くしました。火災は4時間以上続き、民家143軒が焼失。延焼を免れたのは、わずか8軒だけでした。
 この大火災を受け、柏原の町並みは、わら屋根づくりから瓦屋根づくりに変わりました。焼失した柏原小学校は廃校になり、跡地の立圓寺(りゅうえんじ)(西柏原新田)境内には、住民によって「柏原小学校の碑」(写真左上)が建てられました。
 この大火災では、消火活動がほとんどできなかったことが、多くの罹災(りさい)世帯を出した原因の一つになりました。これは、旧東海道沿いの原町(まち)(現在の沼津市)から元吉原村にかけての松並木が、強風で8割ほど倒れて道を塞ぎ、消防隊がたどり着くことができなかったためです。このことは、後の防災対策に大きな教訓を残しました。

- 写真あり -
( 写真説明 )中柏原東方面の焼け跡
( 写真説明 )柏原小学校の碑
- 図表あり -
(図表説明)立圓寺地図

こちら編集室

 花粉症の人には厳しい季節になりました。既にマスクやティッシュを手放せない人も多いのではないでしょうか。ことしも飛散量が多いという予測が出ていて、花粉情報が気になります。私はまだ発症していませんが、発症したときが恐いです(汗)。症状を和らげるには、花粉を体内に取り込まないことが重要ですが、なかなか難しいですよね。症状を軽減する注射や薬が開発されていると聞きますが、いろいろな対策をしつつ、上手につき合っていくしかなさそうですね。(あら)

人口 257,510人(前月比-187)
男 127,201人(-100)
女 130,309人(-87)
世帯 100,920世帯(+26)2月1日現在
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