富士市水防団結成25周年
富士市水防団では、現在10水防団、535人の団員が富士市の水防活動を行っています。
その富士市水防団が、ことし結成25周年を迎え、12月12日(日曜日)にロゼシアター中ホールで記念式典が行われます。
これを機に、皆さんもー緒に富士市水防団の歩みを振り返るとともに、水防団の役割について見つめ直してみませんか。
富士市水防団の歩みと水害のつめ跡
明治22年 岩松村・加島村・田子浦村の3か村で水防組を組織する(富士川左岸)。
大正2年 富士川左岸水防組を発足。
大正6年 静岡県会第30号により水防組設置規程が定められる。
潤井川右岸(加島村内の蓼原・五味島・本市場新田・松本・中島の5区)水防組発足。
潤井川左岸(伝法村)水防組発足。
昭和24年 法律第193号により水防法公布。
昭和41年 台風26号(死者15人、行方不明者1人、負傷者134人)。
昭和42年 条例38号により「富士市水防団条例」を公布。条例の施行により、水防組が水防団と名称を変える。
須津・吉永・田子浦水防団発足。
昭和49年5月1日 富士市連合水防団発足
昭和49年 七夕豪雨(死者1人)。
昭和51年 豪雨(負傷者4人)。
昭和53年 浮島水防分団発足。
昭和54年 台風20号 (行方不明者二人、負傷者二人)。
昭和55年 原田水防分団発足。富士市連合水防団が富士市水防団と名称変更。
昭和57年 元吉原・鷹岡水防分団発足。
水防団はこんな活動をしています
水防団の団員は、町内会(区)長から推薦を受けて団長より任命され、みずからの職業を持ちながら次のような活動をしています。
◎大雨警報が発令されると、市から連絡網で各分団長に伝達され、各団員が河川流域の見回りをしたり、水防工法を行ったりします。
◎分団長以上が集まる水防団会議を2か月に1回ほど開催し、情報交換などを行っています。
◎富士市水防訓練や総合防災訓練、富士川水防訓練、津波避難訓練などに参加し、次の水防工法の訓練を行っています。
・土のうづくり、積み土のう工法(越水防止)・木流し工法(洗掘防止)・川倉(かわくら)工法(決壊・崩壊防止)・シート張り工法、月の輪工法、畳張り工法(漏水防止)・五徳縫い工法(亀裂(きれつ)防止)
◎静岡県から委託されて田子の浦港陸閘(りくこう)(海水をとめる門)の管理をしています。
市民の皆さんと一体となった水防活動の推進を目指して
富士市水防団団長 時田長夫さん(五味島)
- 写真あり -
歴史が古い富士市水防団
水防団単独の組織は、県内では富士市を含めて4市にしかありません。ほかの市町村は、消防団が水防の役割を兼務しています。富士市では富士川や潤井川が過去に何度もはんらんしていたため、水防に力を入れているのです。
富士市水防団の歴史は古く、明治22年には水防組織が発足し、昭和49年には富士市水防団の前身となる富士市連合水防団が発足しました。これまで、台風や集中豪雨の際に、水防活動を行ってきました。私自身としては、特に昭和49年の七夕豪雨の際に出動して、積み土のうや木流し工法を行ったことを思い出しますね。
いつでも山動できる準備を
全国各地では、人命にかかわる大きな水害が毎年のように起きています。近年、富士市では幸いにも大きな水害は免れていますが、都市化が進んだため、局地的な大雨などで河川や水路があふれるということが、年に数回あります。
災害は忘れたころにやってくると言います。水防団は、いざというときに備え、水防訓練などに参加し、団員の水防技術の向上と士気の高揚を図っています。
水防団のことを多くの人に知ってほしい
水防団員は大雨の際などには、自分と家族の危険をも顧みず、市民の皆さんの生命と財産を守っていく大切な役割を担っています。しかし、水防団は河川に隣接した地域の住民以外にはあまり知られていません。また、団員の高齢化や後継者不足という問題も抱えています。ですから、この25周年を機に、多くの人に水防団のことを知っていただきたいと思います。その結果として、若手団員もふえたらいいですね。
これからも、富士市水防団は、市民が安心して暮らせるまちづくりを進めるため、市民の皆さんと一体となって、水防活動を行っていきます。
若手団員を募集しています。水防団についての問い合せは、河川課 内線2461へ
- 図表あり -
( 図表説明 ) 各水防団の担当河川流域
- 写真あり -
( 写真説明 ) 市長・団長巡閲(富士市水防訓練)
( 写真説明 ) 川倉工法(富士市水防訓練)
( 写真説明 ) 潤井川右岸の見回り
( 写真説明 ) 富士市水防団の皆さん(静岡県・富士市総合防災訓練)
( 写真説明 ) 積み土のう工法(静岡県・富士市総合防災訓練)