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【広報ふじ平成11年】ご存知ですか?民生児童委員の父 笠井信一翁(おう)

 5月12日は民生児童委員制度が発足した日に当たり、「民生委員の日」と呼ばれています。民生児童委員は社会奉仕の精神を持って、地域の福祉活動を支援し、市民の皆さんのいろいろな相談に応じています。
 その「民生児童委員の父」と呼ばれている人が、富士市出身ということを皆さんはご存じでしょうか。
 今回は「民生児童委員の父」と呼ばれる笠井信一翁についてご紹介します。
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( 写真説明 ) 民生時同委員の父 笠井信一翁

●富士郡蓼原村で生まれる
 笠井信一翁は元治元年(1864年)6月19日富士郡蓼原村に生まれました。
 翁の家は金物商を営み、東海道筋に面していて、家からは雄大な富士山を仰ぎ見ることができました。

●内務省で仕事を始める
 翁は蓼原村の三省舎(現在の富士第一小学校)に学び、旧制静岡中学校を卒業、さらに東京第一高等学校を卒業して、東京帝国大学(現在の東京大学)英法科に入学。明治25年に卒業後、内務省に入り、人々の生活にかかわる仕事に夢中になって取り組みました。
 そして、明治41年、翁は仕事ぶりを認められ、全国の知事の中で最も若くして、岩手県知事に任命されました。

●静岡県知事も務める
 岩手県知事に在任中、農業や林業に力を入れ、また、教育基金育英資金制度をつくり人材の育成に努めました。こうした努力により苦しい県の財政事情を救ったのです。
 そして、大正2年3月、生まれ故郷の静岡県知事に任命されました。
 しかし、第一次世界大戦が起こり、各県の財政が苦しい中、翁が県知事となってくれることを待ち望んでいる県も多くありました。そのため、内務省は翁をやむなく、当時県財政が非常に苦しかった岡山県の知事に任命しました。
 静岡県知事に任命されてわずか1年3か月後のことです。

●大正天皇からのご質問
 岡山県知事になってからも、翁はこれまでの経験を生かし、官民一体となった取り組みを進め、世界大戦のさなかにあって苦しい経済状況を救うための努力を重ねました。
 大正5年、宮中で行われた地方長官会議で、大正天皇から翁に質問がありました。
 それは、「県内で生活に困っている人はどのくらいいて、その人々が身を立てるようにするにはどのようにしたらいいか」という内容でした。
 岡山に帰った翁は、すぐに生活に困っている人々の調査をしました。すると、県民の約1割の人がとても生活に困っていることがわかり、翁は大変驚きました。また、生活が困る原因には体が不自由なことや、働くための仕事がないことなど、いろいろな理由があることがわかりました。翁は真剣に悩み、その人々を救うにはどうしたらいいのか考え続けました。

●済世顧問(さいせいこもん)制度をつくる
 その結果、役所だけでなくそれぞれの町に住み、思いやりがあり、社会奉仕の心を持った人たちと協力して、生活に困っている人の手助けをすることが必要だと考えました。これが現在の民生児童委員制度のもとになる「済世顧問制度」です。
 その後、翁は北海道庁長官や勅撰(ちょくせん)貴族院議員を務めるなど活躍しましたが、昭和4年に病気のため、66歳の生涯を閉じました。今ではその功績をたたえ、翁のことを「民生児童委員の父」と呼んでいます。
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( 写真説明 ) 「済世(賀しい人)の心はすべからく、花を養うの天のごとくなるべし」と翁はうたっています


翁は大変な勉強家で思いやりのある人
祖母が笠井信一翁の妹に当たる 佐野真一(しんいち)さん(伝法)
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 翁と私の祖父とは義理の兄弟の関係にあり、よく話をしたそうです。翁は大正時代に首相を務めた原敬(はらたかし)などの政治家とも親交があったようです。また、大変な勉強家でもあったようです。
 翁は地元の人にも人望があり、県知事時代、菩提寺である今泉の妙延寺に行ったとき、大勢の人が出迎えるほどであったと聞いています。また、江戸時代に親孝行で幕府から表彰された「孝子(こうし)中村五郎右衛門」にあやかり、「孝子の碑」を建てることに力を貸したそうです。翁の生まれた家は旧東海道筋にあって、小さいころから生活に困っている人と接したこともあり、そのことが後の翁の考え方に影響を及ぼしたのかも知れませんね。私も翁の生き方には共感していますよ。


翁のことをこれからも伝えていきたい
笠井信一翁顕彰(けんしょう)会 顧問 笠井一男さん(左・蓼原) 会長 加藤義彦さん(右・蓼原)
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 笠井信一翁顕彰会は平成2年に発足し、富士駅北地区の住民を中心に約90人が入会しています。翁の功績をたたえ、会では毎年、翁の命日に当たる7月25日に稗前祭を実施しています。
 翁の美徳の心は、人間の気持ちそのものであるように思います。私たちの郷土の出身であることを誇りに思い、これからも翁の功績などを後世に伝え、もっと多くの人に翁のことを知っていただきたいですね。
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( 写真説明 ) 米の宮神社東隣の公園予定地内にある翁の顕彰碑


そして今も、民生児童委員・主任児童委員は皆さんの身近な福祉ボランティアとして活動しています

 現在、富士市では301人の民生児童委員と、主に子供たちの健全育成に携わる22人の主任児童委員が、市内を19に分けた地区で福祉活動をしています。民生児童委員は、大きく分けると次のような活動をしています。
・担当地域住民の生活実態と福祉ニーズの把握
・悩み事や心配事を持つ住民への個別相談
・社会福祉制度・福祉サービスの住民への情報提供
・援護を必要とする人や家族と行政・関係機関との連絡調整
・援護を必要とする人に最も適した福祉サービスの提供
・地域の関係機関や住民との連携づくり
・地域住民の福祉に影響のある問題について行政への意見
 民生児童委員・主任児童委員は皆さんの身近な福祉ボランティアです。
 福祉のことで困ったことや心配なことがあったら、地区の民生児童委員・主任児童委員にご相談ください。


一歩進んだ魅力ある福祉のまちに
富士市民生児童委員 協議会会長 増田時夫さん(江尾)
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 富士市では大正11年に、今の民生児童委員の前身に当たる方面委員が任命されました。
 私が民生児童委員になった当時は、翁にちなむ日を知っていることが民生児童委員として当然でしたよ。
 民生児童委員の創始者である翁が富士市出身ということはうれしいことですし、一歩進んだ福祉を進めていかなければならないという気持ちも強くありますね。
 これからも相談者との信頼関係をつくりながら、市や社会福祉協議会などの関係機関と協力し、若い人たちも安心できる魅力ある福祉のまちづくりを進めていければと思っています。

民生児童委員・主任児童委員についての問い合わせは 社会福祉課 内線2311
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