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【広報ふじ平成8年】新市施行30周年

昭和41年11月1日 新しい富士市が誕生

 富士市は、ことしの11月1日に30周年を迎えます。
 富士山のふもとに産業が栄え、人々が集い、町や村が形成されました。そして、それらのまちが大同団結して合併を繰り返し、昭和41年11月1日に新しい富士市が誕生したのです。
 今回は、新市施行30周年の記念特集号。富士市の30年の歩みや、21世紀へ向けての取り組みなど、私たちのまちの姿を一緒に見てみませんか。

富士市30年の歩み

昭和41年(1966年〉
●田子の浦港が国際貿易港に指定。
●吉原市、富士市、鷹岡町が合併して新富士市ができる。人口16万4,932人、世帯数3万7,776世帯。
●新市の初代市長に斉藤滋与史(しげよし)氏が当選。

昭和42年(1967年)
●富士市の市章と市民歌ができる。
●岳南食肉センターが操業開始。
●交通安全都市を宣言。

昭和43年(1968年〉
●東名高速道路富士インターチェンジが開通される。
●市民の花と市民の木(バラ・クスノキ)が市民公募で決定。
●港まつりを富士まつりに改称して盛大に実施。

昭和44年(1969年)
●企業との公害防止協定を結ぶ。
●岳南排水路管理組合を設立。
●富士市から暴力のすべてを追放する宣言を発表。

昭和45年(1970年)
●第2代市長に渡辺彦太郎氏当選。
●新市庁舎完成。4月1日開庁。
●富士川に工業用水専用の水管橋が完成。(全国一の規模)

昭和46年(1971年)
●県下最大の富士見台団地の分譲始まる。
●公害病患者の医療救済が開始。
●田子の浦港のヘドロ処理作業が始まる。
●工業製造品出荷額等が県下1位になる。

昭和47年(1972年)
●公害病に対する国の医療救済制度が適用される。
●第一清掃工場のごみ焼却プラント完成。
●富士市緑いっぱい市民の会が「第一回緑と花の百科展」を開催。
●社会福祉センター「広見荘」ができる。

昭和48年(1973年)
●公害防止の「富士503計画」が実施される。
●市民プールがオープン。
●第3代市長に渡辺彦太郎氏当選。

昭和49年(1974年)
●富士・愛鷹山麓(さんろく)地域の大規模開発を規制。
●丸火自然公園に「少年自然の家」、「丸火自然館」ができる。
●ヘドロ埋立地を利用した公園、 富士川緑地ができる。
●7月7日の七夕豪雨で死者一人、被害総額15億円。

昭和50年(1975年)
●住民登録人口が20万人を突破。(2月8日)
●国道一号富士由比バイパスが全線開通。
●南富士ゴルフ倶楽部(くらぶ)の強行建設に市民団体が抗議。

昭和51年(1976年)
●第二清掃工場し尿処理施設を増設。
●自然環境保全会議が発足。
●総合運動公園に野球場オープン。
●ロシア軍艦ディアナ号のいかりを三四軒屋沖から引き揚げ。
●8月9日の集中豪雨、時間雨量94ミリを記録。
●公害防止の「富士503計画」を達成。
●公設地方卸売市場がオープン。

昭和52年(1977年)
●浮島工業団地の造成事業完了。
●蓼原大橋が開通。
●第4代市長に渡辺彦太郎氏当選。

昭和53年(1978年)
●総合運動公園に勤労者体育センターがオープン。
●世界で四番目の二重構造ブリッジ型溶岩洞穴が厚原で発見。
●勤労者進学資金貸付制度が発足。

昭和54年(1979年)
●障害者福祉都市の指定を受ける。
●大規模地震対策特別強化地域に指定される。
●台風20号により柏原海岸に外国の大型貨物船(ゲラティック号)が打ち上げられる。
●西部浄化センターが通水開始。
●富士木材センターがオープン。
●富士市の製造品出荷額等が1兆円を超える。

昭和55年(1980年)
●社会福祉センター「田子浦荘」がオープン。
●県下初の高齢者事業団「富士市シルバー人材センター」が発足。
●製紙かす生投棄終結宣言を発表。
●国道一号沼津バイパス全線開通。

昭和56年(1981年)
●市立博物館が広見公園内にオープン。
●新幹線富士駅設置促進期成同盟会が発足。
●「第一回福祉まつり」を開催。
●第5代市長に渡辺彦太郎氏当選。

昭和57年(1982年〉
●養護老人ホーム「駿河荘」オープン。
●総合運動公園に陸上競技場オープン。
●松岡瑞林(ずいりん)寺の木造地蔵菩薩(ぼさつ)座像、国の重要文化財に指定。
●台風10号により東海道本線富士川鉄橋の橋脚が流失。

昭和58年(1983年)
●富士を映す水と緑の市民公園「中央公園」の基本計画まとまる。
●富士市民憲章が制定される。

昭和59年(1984年)
●全国2番目の痴呆(ちほう)老人専用の「天間荘」完成。
●財団法人「富士市施設利用振興公社」を設立。
●新しい市立中央病院オープン。
●彫刻彩る潤井川大橋完成。
●東海道新幹線新駅、富士市への設置が決まる。

昭和60年(1985年)
●全国初の雨水調整ダム「片倉雨水貯留池」が完成。
●核兵器廃絶平和都市を宣言。(11月19日)
●第6代市長に渡辺彦太郎氏当選。

昭和61年〈1986年)
●「ふじ21世紀プラン」スタート。
●新しいごみ焼却施設、第一清掃工場が稼働。
●富士市斎場会館がオープン。
●新市20周年を記念して広見公園にタイムカプセルを埋設。

昭和62年(1987年〉
●青葉通りなど7路線の道路愛称名が決まる。
●富士川治水300年を記念して「かりがね祭り」を行う。
●富士市の人口が22万人突破。
●源平橋が開通。

昭和63年(1988年)
●新幹線新富士駅が開業。ステーションプラザFUJIオープン。
●救急医療センターがオープン。
●富士市社会福祉センター「東部市民プラザ」オープン。
●国道一号富士川橋架替工事完成。
●保健婦人センターがオープン。

平成元年(1989年)
●中国浙江省嘉興市と友好都市提携を調印。(1月13日)
●吉原商店街の電線類地中化工事が完成。
●第7代市長に鈴木清見氏当選。

平成2年(1990年)
●社会福祉センター「鷹岡市民プラザ」・「富士文庫」がオープン。
●常葉学園富士短期大学開学。
●勤労者総合福祉センター「ラ・ホール富士」オープン。
●東部浄化センターが通水開始。

平成3年(1991年)
●こども療育センター開所。
●中央公園オープン。
●市立富士体育館落成。
●「エントツを生かしたまちづくり」全国シンポジウム開催。
●米国、オーシャンサイド市との姉妹都市提携に調印。(12月2日)

平成4年(1992年)
●県「こどもの国」誘致決定。
●紙の国100年祭シンポジウム開催。
●文化会館の愛称が「ロゼシアター」に決定。

平成5年(1993年〉
●市立看護専門学校開校。
●富士市の人口が23万人突破。
●「高齢者就業センター」落成。
●東部地方拠点都市地域の指定を受ける。
●ロゼシアターオープン。
●第8代市長に鈴木清見氏当選。

平成6年(1994年)
●富士市都市景観条例が施行。
●ゆとり創造都市を宣言。
●第二東名の測量スタート。
●家電製品のフロンガス回収を開始。

平成7年(1995年)
●湧水(ゆうすい)公園オープン。
●新しい市立中央図書館がオープン。
●ロゼシアター来館者100万人達成。
●富士駅南口広場の人工地盤が完成。
●身体障害者療護施設「くぬぎの里」オープン

平成8年(1996年)
●特別養護老人ホーム「すどの杜(もり)」がオープン。
●市立博物館入館者50万人達成。
●富士マリンプールがオープン。
●市立中央病院のオーダリングシステム開始。
●新市施行30周年記念式典(11月1日)

- 写真あり -
( 写真説明 ) 浮世十ニか月「竹取物語六月」
( 写真説明 ) 東海道五十三次「左富士」
( 写真説明 ) 富士駅前(明治42年)
( 写真説明 ) 2市1町合併調印式
( 写真説明 ) 田子の浦港が国際貿易港に指定(昭和41年)
( 写真説明 ) 東名高速道路富士インターチェンジ開通(昭和43年)
( 写真説明 ) 新市庁舎完成(昭和45年)
( 写真説明 ) 田子の浦港ヘドロ処理始まる(昭和46年)
( 写真説明 ) 国1富士由比バイパス全線開通(昭和50年)
( 写真説明 ) ディアナ号のいかり引き揚げ(昭和51年)
( 写真説明 ) 蓼原大橋が開通(昭和52年)
( 写真説明 ) ゲラティツク号が打ち上げられる(昭和54年)
( 写真説明 ) 市立博物館がオープン(昭和56年)
( 写真説明 ) 台風10号による富士川鉄橋橋脚流出(昭和57年)
( 写真説明 ) 富士市民憲章が制定される(昭和58年)
( 写真説明 ) 潤井川大橋が完成(昭和59年)
( 写真説明 ) 核兵器廃絶平和都市を宣言(昭和60年)
( 写真説明 ) 新幹線新富士駅開業(昭和63年)
( 写真説明 ) 中国・嘉興市と友好都市提携(平成元年)
( 写真説明 ) 中央公園がオープン(平成3年)
( 写真説明 ) 米国・オーシャンサイド市と姉妹都市提携(平成3年)
( 写真説明 ) 市立看護専門学校開校(平成5年)
( 写真説明 ) ロゼシアターがオープン(平成5年)
( 写真説明 ) 中央図書館がオープン(平成7年)
( 写真説明 ) 富士マリンプールがオープン(平成8年)
( 写真説明 ) 21世紀の富士市は?

市長インタビュー 21世紀の富士市を担う子供たちのために

新市施行30周年を迎え、まちかどネットワーカー(広報ふじの情報通信員)の鈴木とも子さんに聞き手となっていただき、鈴木清見市長から、富士市の未来へ向けての抱負について伺いました。

鈴木清見 富士市長
- 写真あり -
聞き手 まちかどネットワーカー 鈴木とも子さん(吉原4丁目)
- 写真あり -

富士市を「市民にとって幸せで住みよいまち」に

鈴木(聞き手)
 市長さん、まずは、新市施行30周年おめでとうございます。
市長
 ありがとうございます。市民の皆さんの温かいご支援、ご協力、そして多くの諸先輩のご尽力のもと、おかげさまで富士市もことし30歳を迎えることができました。
鈴木
 今の富士市が誕生したのは昭和41年11月1日でしたよね。新市誕生当時、市長さんは高校の先生をしていたと思いますが…。
市長
 はい、2市1町が合併し、新しい富士市が誕生した年、私は、たまたま県の教育委員会へ出向していましたが、翌年、吉原工業高校の校長として赴任しました。
鈴木
 教育者の立場から、2市1町が合併して新しいまちができることをどのように受けとめましたか。
市長
 そうですね…、昔、このあたりは「富士郡」と呼ばれ、富士山の南側に広がるのどかな地域でした。山や川、海などの豊かな自然は、そこに住む人たちの共有の財産でしたし、子供たちも、豊かな自然を成長の糧として勉学にいそしんでいました。そんなことから、同じ環境の2市1町が大同団結して一つのまちになることは、とてもすばらしいことだと思いました。
鈴木
 それから、何年もの月日が流れ、市長さんは確か、平成2年に就任なさったと思いますが、市長になって「富士市」をどのようなまちにしたいと考えましたか。
市長
 私は、人生の40年近くを学校という職場で過ごしました。そして、職を退いてから、その余力を生まれ育った郷土のために恩返ししよう、富士市が「市民にとって幸せで住みよいまち」となるよう奉仕しよう、と決心したのです。
 「市民にとって幸せで住みよいまち」とは、住環境が整備され、医療・福祉・教育が充実し、清潔なまちであると思います。
 特に、まちを清潔に保つためには、ごみのほか、生活雑排水、し尿処理問題などは重要な課題です。そのため、市では、下水道事業に力を入れて取り組んでいます。下水道の整備が進むことで、汚水が川に流れ込まなくなり、川や海がきれいになります。昔のように、夏になるとあちらこちらの川で蛍が飛び交うなんて、すてきだとは思いませんか。
 また、まちに働く場所がたくさんあるということも大事ですね。その中から自分の才能や能力に合った職業につくことは、とても幸せなことではないでしょうか。市民の皆さんが明るく健康的な仕事に従事し、毎日気持ちのよい汗をかいて生活できることは、とても大切なことです。


未来の福祉はボランティア精神が「かぎ」

鈴木
 私は、ボランティアセンターに登録し、日ごろ、お年寄りの家へ訪問するなどの活動をしています。富士市は、他市と比較して福祉施設が充実していると思いますが、これからの高齢者対策について、お話を聞かせてください。
市長
 確かに、諸先輩の努力もあり、富士市の地域福祉は充実していると言えるのではないでしょうか。老人ホームや保育園など、近隣の市町村に劣らないレベルにあると自負しています。
 しかし、なおも著しい高齢化が進む中で、施設だけでは支えきれない問題が数多くあります。そこで、ボランティアや在宅介護支援が不可欠になっていくのだと思います。核家族化も進む一方ですが、お年寄りや障害者の介護の主体は家族、というのが現状です。
 それゆえに、それを周囲からサポートしていくことが、我々の役目ではないでしょうか。もちろん、そのために施設面だけでなく、福祉施策の質を高める努力もしていかなければなりません。
 また、これは防災対策にもつながることですが、近隣の住民同士が日ごろのふれあいを深めることで、助け合いの精神・ボランティア精神が生まれ、緊急時の対応につながるのです。
 いずれにしても、健康が一番。みんなが日ごろから健康増進を心がけ、元気に暮らしてほしいものですね。


まちづくりの主人公は市民

鈴木
 静岡県東部の中核都市として、これからの富士市の発展に、市民からも大きな期待が寄せられていると思いますが…。
市長
 はい、富士市は、平成5年に県東部の「地方拠点都市」の指定を受けました。そして、市内はもちろん、近隣の市町村や山梨県域まで含めた広い地域の玄関口としてふさわしい地域となるよう、新富士駅周辺の整備に取り組みます。
 また、平成11年には「こどもの国」が一部オープンします。国内だけでなく、世界中の子供が集まり、自然とのふれあいを通して交流を深める空間になりますよ。
 そして、それらの地域を結ぶ交通の利便性を高めるため、都市計画街路の整備も大切です。都市計画や区画整理、道路・河川の整備など、富士市が生活するのにより便利な都市となるために、我々がやらなければならないことは、まだまだたくさんありますね。
 それから、公共施設などの耐震補強や避難地の拡充、水、電気、ガスなどのライフラインの整備など、「災害に強いまちづくり」も重要な課題だと思います。
鈴木
 富士市の自然や文化、産業など、21世紀に向けての未来像について、どのようにお考えですか。
市長
 富士市を語るときに「富士山」は切っても切れない存在だと思います。その恩恵であるおいしい水や豊かな緑をもとに、製紙業が栄え、今日までの発展を遂げました。そして、これからは、その自然を保全しながら都市基盤の整備を進める必要があります。
 私は、基本理念として「未来へつなぐ人間都市“富士”」を掲げています。これは、21世紀を間近に控え、富士市の未来を担う子供たちに、すばらしいまちを引き継ぐことが、我々の使命であるという意味が込められています。
 そのためには、青少年の健全育成や国際交流も活発にし、子供たちが元気で健やかに育つまちにしたいと考えています。
鈴木
 最後に、新市施行30周年を迎えるに当たって、市民の皆さんにメッセージを一言お願いします。
市長
 まちは「共同体」です。ですから、まちづくりの主人公は、あくまでも市民なのです。市民一人一人がまちづくりに参加してもらうことが大事で、行政はそのバックアップをしているに過ぎません。
 新市施行後の30年間、諸先輩の努力のもと、富士市はすばらしいまちになりつつあります。この流れを21世妃まで続けていかなければなりません。
 「まちづくり」は、常に前進している終わりのない仕事です。市民の皆さんのより一層のご支援、ご協力をお願いします。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 富士山は、富士市の水や自然、文化、産業の源
( 写真説明 ) 未来を担う青少年の健全育成(青少年の船)

…そして 未来へ

 富士山のわき水と豊かな緑の恵みを受け、文化と産業が育ち、富士市は発展してきました。
 そして、私たちは未来へ向け、その自然を損なうことなく、人々が輝き、情熱と躍動に満ちたまちづくりに夢を広げます。


水のまち
富士山は、巨大な水がめの役割を果たしています。富士市の水は、ほとんどが富士山の豊かな恵みなのです。
富士市は水のまち。その豊かな水資源を保全し、美しい川や海を次世代に引き継いでいかなければなりません。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 田宿川たらい流し川祭り
( 写真説明 ) いぼとり不動


緑のまち
北に富士山、南に駿河湾、東西に浮島ヶ原と富士川。富士市は、すばらしい自然に囲まれており、まちには緑豊かな公園が点在しています。私たちには、祖先が守り続けてきたこの自然を大事にはぐくんでいく責任があるのです。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 丸火自然公園
( 写真説明 ) 中央公園


人が輝くまち
まちには、人々の輝く笑顔があふれ、未来の富士市を築く情熱とパワーがみなぎっています。
富士市は、製紙業を中心に、さまざまな産業が集まった活力あるまち。それぞれが、新たな未来のスタイルを描き、発展していきます。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 予想図 富士山を望むにぎわいのある商店街
( 写真説明 ) 予想図 新富士駅と拠点を結ぶ新公共交通と道路網


2市1町の合併当時を振り返って

元富士市助役 影山辰男さん
- 写真あり -
 2市1町の合併が本格的に動き出したのは、昭和38年。当時の静岡県知事で、田子浦出身の斎藤寿夫(としお)氏が、この合併について極めて積極的に推進したことが大きな力となりました。
 しかし、それは、突然沸き上がった話ではなく、その数年前から「製紙業が主産業で、経済圏や人情・風俗・習慣がほぼ同一の岳南2市1町は、大同団結すべきだ」との気運が高まっていたことや、昭和33年から建設が始まった田子の浦港が、旧富士市と旧吉原市にまたがっていたことなどが、背景にありました。
 こうして、2市1町の長、議員、関係職員などで、合併に向けての話し合いが始まりました。そして、具体的な取り組みとして、昭和40年4月に「岳南2市1町合併促進協議会」が設置され、私は、その事務局長に就任しました。
 当時の人口は、2市1町合わせて約16万人。大規模な都市の対等合併だけに問題も山積みでした。特に問題となったのが、新しい市の名称と、市庁舎の場所、新市施行後の事業計画などでした。
 まず、市の名称は、それぞれが現行の市名を主張する中、旧富士市は、世界の名峰富士山の「富士」、旧富士都の「富士」を最良とし、旧吉原市は、歴史ある「吉原」という名は捨てられないと、特に商店街の皆さんは「富士市」に大反対でした。
 そこで、いろいろな面で対等の立場にあった旧富士、旧吉原の2市の間に立って旧鷹岡町が仲介役となり、新市名と市庁舎の場所を抱き合わせた調停案が示されました。それは、新市の名称は旧富士市と旧鷹岡町とで協議、新しい市庁舎の場所は旧吉原市と旧鷹岡町とで協議した結果を、それぞれ尊重するというものでした。
 ちなみに、市庁舎の場所は、旧吉原市が「旧市営球場」(現在の富士市農協本店)跡を提示し、旧鷹岡町は将来の富士宮市との広域行政を配慮して長沢、中桁方面を適地としましたが、最終的には現在地に決定しました。
 そのほか、新市事業計画の決定も難航しましたし、合併に関する懇談会を開いて市民の理解を得るために東奔西走しました。
 新市施行後も長年にわたり市政に携わる中で、数え切れないほど多くの苦労がありました。しかし、富士市が現在に至るまで目覚ましい発展を遂げてきたことを大変うれしく思います。そして、未来の富士市が、より一層すばらしいまちとなるよう期待しています。


 8月2日、「富士市青少年会議」がロゼシアターで開かれ、“中学生未来プラン”をテーマに、21世紀の富士市のまちづくりについて話し合われました。
 その会議の司会進行役を務めた岩松中の斉藤君と影山さんから、中学生が抱く富士市の未来像について、お話を伺いました。

岩松中3年 斎藤 眞(しん)君
 〃 2年 影山真理奈さん
- 写真あり -
 最初の討論では「どんな富士市に住みたいか」について、市内各中学校を代表するパネラーや会場の小中学生から発表がありました。
 特に環境、福祉、国際化問題に意見が集中。環境面では、ごみのポイ捨てが多いことや環境に対する意識の薄さを問題点として取り上げる一方、福祉や国際化については、差別視や、お互いを理解し合う努力をしていないことなどが指摘されました。
 それらの実態を踏まえ、各学校や地域での活動を報告。校外美化活動やプルタブ・アルミ缶回収、地域のお年寄りとの交流など、多彩な取り組みが紹介されました。
 最後に、21世紀に向け、中学生として何ができるかを討論。自主的なごみ拾いやリサイクル運動、あいさつの励行など、未来の富士市が「自然豊かな、人情味あふれるまち」となるよう、身近なことから意欲的に取り組んでいこう、と呼びかけました。


 富士市はことしで30歳。人間に例えるなら、若さあふれる中にも徐々に円熟味を増し、まさに働き盛り…といったところでしょうか。
 11月1日に行われる記念式典を初め、「新市施行30周年」を記念して、さまざまな行事が開催されています。
 けれど、これはあくまでも一つの通過点。未来へ向けてなおも日々前進あるのみです。21世紀の富士市がよりすばらしいまちになるよう、市民の皆さんと手を携え、一緒に頑張っていきましょう。
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広報広聴課 (市庁舎8階北側)
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