かっぱの茶つぼ
慶長18年(西暦1613年)、元吉原に創設され、東海道、吉原宿の移転の歴史とともに歩んできた唯称寺(ゆいしょうじ)。(現在は吉原3丁目)
今回は、唯称寺の3代目の住職が、かっぱを助けたときにもらった茶つぼのお話について、17代目の住職、沢崎白雅(さわさきはくが)さんに語っていただきました。
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昔、唯称寺が中吉原宿(依田橋の西)にあったころのことです。ある晩、和尚さんのまくら元に一人の白いひげのおじいさんがあらわれました。おじいさんは、「私は、和田川の川下に住んでいるかっぱです。先日の洪水で河合橋の近くにある私の住みかに馬鍬(まぐわ)(農具の一種)がひっかかり、子供たちが出入りできません。どうぞ馬鍬を取ってください」と言って帰りました。
翌朝、和尚さんは、小僧さんを連れて河合橋まで行ってみました。すると、かっぱの言ったとおり、和田川の土手の下の方に馬鍬がひっかかっています。和尚さんは、「これだな」と思いながら、小僧さんと二人で苦労して取り除きました。
その晩、夢の中にかっぱがあらわれ、「和尚さん、どうもありがとうございました。これは、私が川底で拾った茶つぼです。ほんのお礼のしるしです。そして、これからは唯称寺が火難や水難に遭わないよう、私がお守りいたしましょう」と言いました。
朝になって和尚さんが玄関に出てみると、茶つぼと魚が置いてありました。この後、唯称寺は一度も火事に遭ったことはないということです。
沢崎白雅さん(吉原)
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この話の中に出てくる茶つぼと馬鍬(まぐわ)は、今もなお唯称寺に伝わっていますが、残念ながら一般公開はしていません。
写真の茶つぼは、手のひらにおさまるほどの大きさ。抹茶を入れるための茶つぼのようです。
「この茶つぼは、お茶つぼ道中が東海道を通ったときに落としたものかもしれませんね。
かっぱの恩返しかどうかは、わからないけれど、唯称寺は、確かに何度かあった吉原の大火を逃れています」