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【広報ふじ平成元年】ふるさと昔話

鈴川の富士塚(ふじづか)

 元吉原中学校の西100メートルほどのところに、富士塚と呼ばれている小山があります。今回は、この塚に伝わる話を鈴川西町の小川修一さんに語ってもらいました。
話をしてくれた 小川修一さん
- 写真あり -


役(えん)の行者(ぎょうじゃ)がつ<る

 今から約1300年ぐらい前、役(えん)の小角(おづぬ)と呼ばれた行者がいました。
 役の行者は修験道(しゅうげんどう)の開祖といわれ、伊豆大島に流されたときに、タ方島を出て富士山に登り、朝には帰ってきたといわれる人です。
 あるとき、役の行者は富士山の見える国々に、富士山をなぞらえた高さ3丈(約9メートル)ぐらいの小山をつくり、富士山を拝む場所としました。富士塚はその内の一つといわれます。


富士登山の安全を祈る

 室町から江戸時代には、富士山で修行する修験道者が急にふえました。修験道者は鈴川海岸で水を浴び、身も心も清めました。そして、玉石を一つずつ富士塚にささげ、富士登山の安全を祈りました。


北条氏の本陣となる

 また、富士塚は天の香久山(かぐやま)とも言われました。戦国時代には香久山のとりで、香久山城、あるいは吉原城とも呼ばれました。
 富士塚は吉原湊(みなと)を控えた要衝で、ここの制覇をめぐって、争いが起こりました。北条氏康・氏政親子は、富士塚を本陣として、今川・武田氏と戦いました。


昭和51年に復元

 その後、富士塚は戦争前ごろまで静寂として、神秘的な場所でした。ところが、昭和40年ごろから、灯籠や玉石を持ち去られるようになり、45年には、ほこらまでなくなってしまいました。
 現在の富士塚は、昭和51年に地元民の寄附などで復元されたものです。

- 写真あり -
( 写真説明 ) 富士塚
添付ファイル
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