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【広報ふじ昭和63年】ふるさとの昔話

小正月の行事どんどん焼き

 1月14日はどんどん焼きの日です。どんどん焼きは、地方によって呼び名があり、伊豆では 「オンベヤキ」「ドンドン」、駿東地方では「サイトヤキ」、富士、静岡方面では 「ドンドンヤキ」「オンベヤキ」などと呼ばれています。オンベは御幣(紙や布を切り、細長い木に挟んで垂らした神祭用具)、ドンドはその燃え盛る形容、サイトは道祖神が祭られるような、村の境界を意味していると言われます。

 13日の夜、けい子ちゃんの家では、お米の粉をこねて、赤、白のおだんごをつくり、ミズキの枝に刺しました。お父さんが神棚にお灯明(とうみょう)をあげ、
「お米や野菜がよくできますように」
と、お祈りしながらだんごをお供えしました。それから、大きなおだんごをつくって長い棒に刺してどんどん焼きの支度をしました。
 さあ、いよいよ14日のタ方です。
「どんどんやーき、14日、サールのケツはまっかっか」
 隣のお兄ちゃんが大きな声を出して出かけて行きました。
 おだんごのついた長い棒を担いでけい子ちゃんも出かけました。広場には、オンベ竹を立て、その周りに正月のお飾りや古くなった 神様のお礼、目玉の入っただるま、ひげの取れたおひな様などが、高く積み上げられています。
 火をつけると、勢いよく燃え上がり、熱くて顔を向けていられません。火の中へ殺げ入れた書き初めが、高く舞い上がるのを見て、
「字が上手になる」
と言って喜ぶ子もいます。
 火が小さくなるのを待っておだんごを焼きます。こんがり焼けたおだんごをけい子ちゃんの家では
「ことし一年、風邪を引かないよ。虫歯にならないよ」
と言って、家中みんなで分け合って食べました。

地名の由来

青島(あおしま)(吉原地区)

 この村は、初め今の位置より東寄りにありましたが、万治年間(1658年〜1660年)にあった洪水で現在の地に移ったということです。
 青島村と呼んだのは、富士川か潤井川のつくった砂州に草木が茂っていた所だったからなのかも知れません。開拓の時期は津田村や依田原と同じころのようですが、その経緯は明らかではありません。
 江戸時代に名主川口市郎兵衛が農民を救った話は有名です。
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