【広報ふじ昭和61年】まちかどネットワーク 我がまちを語る
心豊かな人づくりのまち 富士駅北
富士駅北地区は、旧富士市の中心街を取り囲む、国鉄富士駅の北側に広がる地区です。このあたりは昔、富士川が乱流していて、わずかの微高地に集落が点在していたにすぎませんでした。
しかし、古郡孫太夫父子三代にわたる治水事業の完成で、いわゆる加島五千石、加島29か村が開拓されました。そして、今のよううな繁栄をもたらしたのは、富士製紙第八工場(今の本州製紙)ができたためと、地区民の熱心な誘致運動により、明治42年、国鉄富士駅がこの地に開駅したためです。地区の中心、富士商店街は昭和37年からの駅前再開発事業で様相も一変し、近代的な町並みとなり、さらに、最近、営業時間を午後9時まで延長する店も出て、商店街の活性化に一役買っています。地区は、交通の要としての位置にあり、生活施設も整っているので住宅地ともなっています。
また、五味島から本市場にかけて、土地区画整理による新しいまちづくりも進められています。
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( 図表説明 ) △人口 16,713人
( 図表説明 ) △世帯数 4,928世帯(61年7月1日現在)
( 図表説明 ) △面積 5.93平方キロメートル
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( 写真説明 ) 甲子(きのえね)さんは駅北地区の代表的な祭り〔写真:河野芳夫さん(富士町)〕
祭りや行事に熱心
長谷川忠好さん 本市場(62歳)
- 写真あり -
江戸時代、吉原宿と蒲原宿の間(あい)の宿として本市場宿ができ、駅北地区は東海道の沿線として発達しました。
昔は、農家が多く、戦前は梨畑も多く見られました。米之宮浅間神社周辺や川の土手には、竹が群生し、子供のころは竹とんぼや竹鉄砲などをつくり、よく遊んだものです。いまの子供たちは、遊び場が減ったという点ではかわいそうですね。
国道1号線は一時、富士川橋から本市場まで車がつながるほど渋滞し、住民としては困りましたが、交通の便がよいというのは、やはり発展の原因でしょう。
駅北の人々は、地域の祭りや行事に熱心で、世代間や住民間のギャップが少ないのが特徴だと思います。若い人たちの活躍で、まだまだ発展すると思います。
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