現在の鷹岡地区から伝法地区にかけて広がる水田地帯は、鷹岡伝法用水(通称二本樋(にほんどよ))によって開けたものです。
このかんがい用水路は1186年(文治2年)甲斐源氏(かいげんじ)出身の植松兵庫之肋信継(うえまつひょうごのすけのぶつぐ)が厚原に移り住み、付近の開発を進めるためにつくったものです。富士宮市山本地区の潤井川(うるいがわ)に取水口をもち富士山麓特有の(ふじさんろくとくゆう)の傾斜地(けいしゃち)をうまく利用して天間南部から入山瀬、久沢、厚原を経て伝法まで全長6.4キロメートルあります。
今日まで800年間、その間幾度(いくど)か改修され、整備されてきましたが、この用水路のもたらした功績(こうせき)ははかり知れないものがあります。
二本樋を管理した植松家の長屋門(ながやもん)は、広見の歴史民族資料館(れきしみんぞくしりょうかん)に復元(ふくげん)されています。
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( 写真説明 ) 凡夫川にかかる二本樋