縄文時代の人々は、山や川・草・木など、種々の物に精霊(せいれい)が宿(やど)ると考えていたようです。なかでも食べ物を貯蔵し、煮炊きする土器こ悪霊(あくれい)が宿ることを嫌いました。もともとは、土器を作るとき表面を固めるための縄目などが、しだいに悪霊よけのための文様(もんよう)に変化していったようです。
天間沢遺跡からは、このような文様のもっとも発達した縄文時代中期(今からおよそ4,500年前ころ)の土器が多く出土しています。
これらの中には、ササ竹を半裁しこの先端て色々の幾何学的(きかがくてき)な文様を画き、さらにヘビやトカゲを何尾も浮き彫りしている土器もあります
この顔面把手もそのような飾られた土器の□縁こ付いていた土面であり、悪霊よけのための主体となった土器のようてす。
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( 写真説明 ) 顔面把手(がんめんとって)
( 写真説明 ) 勝坂式土器