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【広報ふじ昭和56年】ふるさとの昔話

農業への努力

その1 用水路の開発と二本樋(どい)

 水田に水がほしいという人々の願いは強く、新しい用水路をつくる努力が村々で続けられました。
 古郡氏3代の50年あまりの苦労と努力とによって「雁堤(かりがねづつみ)」が完成してからは、その東・南側の広い地域の村々に、根田堀や上堀・中堀・下堀などの用水路がひかれていきました。
 こうした土木工事を行うために、郷土の人達は、和算(わざん)を学び土地の開発や改良に役立てていったのです。
 加島5千石として栄えた陰には、はかり知れない努力があったのです。
 一方、富士山のすその地方にある厚原や伝法付近も、日照(ひでり)の害が多く、水が不足して困っていました。
 今から800年程前、山梨県から移り住んだ植松兵庫之介信継(うえまつひょうごのすけのぶつぐ)という人は、潤井川から水を引くことを考えました。
 そして、巾2メートルから5メートル、長さ6キロメートルの伝法鷹岡用水をつくったのです。
 途中には、凡夫(ぼんぷ)川という深い沢があります。長さが50メートルもある木で作った掛どい二本で用水を渡すことに成功しました。これが二本樋です。
 それからは水を奪(うば)いあう「水あらそい」もなくなり、この用水路に沿って厚原、伝法などの村々は発展していったのです。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 凡夫川にかかる二本樋


●都市化はすすんでも…
樋代官植松家の子孫 植松卓穂さん 厚原西(58歳)
- 写真あり -

 樋代官といわれた最後の人から数えて私が4代目になります。でも代々直系でないため昔のことはあまり伝承されていません。
 これから都市化がすすむほど用水路の役割も変って来ると思いますが昔の人々の努力の遺産として残しておきたいですね。
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