この物語の作者は紀貫之(きのつらゆき)とか、源順(みなもとのしたがう)とかといわれていますが、はっきり分っていません。また、いつ作られたものか明らかではありませんが、たぶん平安時代はじめの作品で、わが国の小説の中で最も古いものだとされています。
吉原三中東側の竹やぶの中に竹取塚があります。
昔、ここにおじいさんとおばあさんが竹かごを作り暮らしていました。
ある日、おじいさんは竹やぶで光る竹の切株を見つけました。そこには10センチほどの赤ちゃんが入っていました。子どものない2人は大喜び、「きっと神様がお授けくださったに違いない」と、この子を大事に育てました。
この赤ちゃんをうちの子にしてから、おじいさんが竹を切ると小判が出るようになり、おかげで、おじいさんは金持になりました。赤ちゃんは竹のようにすくすく背が伸び3か月ほどで、輝くような美しい娘になりました。おじいさんは、この娘をかぐや姫と名づけました。
かぐや姫のうわさは国中に広まりたくさんの人がお嫁にくださいと頼みにきました。その中で特別熱心な五人がいました。かぐや姫は「私の見たい物を早く取ってきた方と結婚します」と火ねずみの皮衣や竜の首の五色玉などの難問を一人一人に出しました。しかし五人とも失敗してしまいました。
それから幾月か過ぎ、姫は月を見て泣くようになりました。8月十五夜の満月が近づいた夜、「私は月の世界のものです。長い間かわいがっていただきましたが、こんどの満月の夜、月から迎えがくるので帰らなければなりません、それが悲しくて」と泣く訳を話しました。おじいさんは姫を渡すまいと決心しました。天皇もそれを聞き2,000人の武士をさしむけ十五夜の夜を待ちました。
やがて天使が空飛ぶ車で迎えに来ました。弓矢をかまえていたのですが魔法の力で体が動きません。かぐや姫はしっかり抱いていたおばあさんの腕の中から、するすると抜け出て車の中に入っていきました。姫は不死(ふし)の薬と着物をかたみに天に昇っていきました。姫がいなければ、こんなものはいらないと駿河の国にある日本一高い山の頂きに持っていき燃やしてしまいました。それから、この山の頂上からはいつも煙がのぼっていました。そこで人々は、この山を不死の山(富士山)と呼ぶようになりました。
天に昇ったかぐや姫は、おじいさん、おばあさんのことが心配になって、月がおぼろにかすむ春になると時々、三保の松原や千本松原に舞いおりてきたということです。