河合橋は元吉原に宿場のあった慶長7年(367年前)に沼川にかけられました。当時、旅人は吉原湊を船で渡っていましたが、幕府の命令で船渡しができなくなりました。このため、沼川に長さ11間(約20メートル)の欄干板橋がかけられました。それから昭和14年に現在の橋がつくられるまで何回となくかけかえられました。
昔、橋の下流は白倉ケ淵あるいはいけにえの淵といわれ、大蛇が住んでいて毎年人身御供(ごくう)をやらないと災いを起したと伝えられています。上流の沼川と滝川の合流点も20メートル以上の深い淵でカッパの住み家になっていたといわれていました。
写真=左は明治末にかけられた木橋の鈴川河合橋。右は昭和14年にかけられたコンクリートの河合橋。旧東海道を往来するとき、河合橋から見る富士山は松並み木に映えて美しく、名勝「左富士」に匹敵するながめでしたしが、現在は写真のように松並み木はみられません。
*めずらしい風景、風俗写真をおもちの人はお貸しください。連絡先は市史編さん室(富士事務所)秘書課広報係(本庁)です。
(鈴木富男稿)
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