広報よしわら 昭和41年12月に富士市と鷹岡町と合併した吉原市広報紙の全記録

昭和41年 1月1日発行 内容

わたしが吉原市長になったら 初夢

 みなさんは、こんなことを考えてみたことはありますか−「もし、わたしが首相だったら−社長だったら」日本の国を、わが会社をこのようにしてみせると。
 そこで当紙では「わたしが吉原市長になったら」と題し、1月15日に成人式をむかえられる20歳(はたち)の若人に“市長感”をいろいろ聞いてみた。

公害問題と真剣に取り組む
山岡壮太郎
‐ 写真あり ‐
 現在、工業都市として発展していますが、これからも交通が便利で、水が豊富(?)という好条件のために、ますます発展していくでしょう。そこで、住み良い町をつくるにはいま以上の努力が必要になります。
 例えば公害の問題です。工場ができる前から公害を心配していては、何もできないと思うかも知れませんが、起こってからでは遅すぎます。今から防止に努めます。それから、発展すれば人口が増え、また工場のために土地が少なくなります。そのために住めなくなっては発展しない方がましです。みんなが安心して住めるように公営住宅や公営分譲地をいまから準備し、公園や緑地も確保します。
 その他、現在当たり前の事が、当たり前のままであるように、みんなで努力していきたいと思います。代表を選ぶか選ばれるか、立場は違ってもみんなで協力してもっと住み良い町にするつもりです(鈴川町1・会社員)

身体障害者のための設備を
木俣照子
‐ 写真あり ‐
 先日忙ぎの仕事を片づけ暗くなった道を駅に向かって歩いていたら、前から来た乗用車の中からタバコの吸ガラを投げた男の人がいた。私の手にあたり道に落ちた。私のびっくりした顔を見て笑って走りすぎた。見たらまだ赤く火がついている。悪い事とはよくわかっていながらする。自分で悪い事だとわからないでする人はないと思う。
 警察では、小暴力追放運動を行っているが呼びかけられる前に、私たち一人一人が責任をもった行動をしなければならない。自分以外の他人の事を考えていては、世間はわたれないという人がいるが、自分のことと同じように他人の事を考えてする事が、よい市をつくるともいえるでしょう。「身体障害者の設備を」「道路を」「遊び場を」といろいろすることは山ほどある、皆のためになることは順序よく全部なおしたい。
 市民の代表ですから、どのような小さな問題にも耳をかたむけ、みんな平等に全部の人が幸福になり、安心して暮らせる住みよい楽しい市をつくりたいと思います。(中里町1・事務員)

吉原駅周辺の改良を
塩崎康子
‐ 写真あり ‐
 まず最初に、私たちの表玄関である吉原駅周辺を何とか改良したいと思います。
 富士市、富士宮市を見ても、駅のあるところはその町全体を表していると思います。その周辺には商店街がたちならび、タクシー会社、旅館と人々の生活と駅とはきっても切れない関係にあるのではないでしょうか。
 そこで私は、吉原駅を中心にした都市計画を試みたいと思います。東海道を走るお客さまに、少しでも吉原の印象が残りますように、歌の文句にもありますように、北に秀峰富士を眺め、南に田子の浦港と、日増しに発展しつつある吉原も、まだまだ手のかけるところは沢山あると思います。
 また、現在問題になっております子どもの遊び場所をつくります。現在のおとなたちのしめる割合の多いバー、パチンコ屋、玉突き場などの半分はカットし、おとなも子どもも楽しめる夢の楽園を、ぜひとも東西南北につくりあげたいと思います。(中島町・銀行員)

青年が憩う若者の家建設
藤田三男
‐ 写真あり ‐
 警察では犯罪防止に懸命である。新聞にも我々と同じ年輩の刑法犯、窃盗などが断つ事なく掲載されて、まさに“犯罪大国”の感がある。
 もし私が市長であったならば楽園都市のような明るく楽しい街に若者たちの気安く集いの出来る憩いの「若者の家」を建てる。そして一日働いた余暇に大いに若い気炎をぶつけあいながら市長を中心に次代を背負う若者同志の赤裸の意見の交換が出来るようにする。ややもすると「昔は云々」の一言にすべてをかたづけられてしまう我々の現在を脱皮していく。
 そして次の世代の支えてゆく我々が努力し、認識し良き人生の先輩となり、青少年問題解決と共に明るい町造りを行う。(本町3・店員)

港から北・東に50メートル道路
杉沢 斉
‐ 写真あり ‐
 “もしも私が市長だったら”我が国の経済、文化、体育など、すべて吉原市を中心に発展させる。このため、どうしても市長を三期つとめなければならない。
 市内の道路は狭い。そこで第一期には、田子の浦港を中心に、50メートル道路を新設する。田子の浦港から市内、そして大淵〜勢子辻に一方は市内から浮島沼に通ずる道路だ。
 二期目。田子の浦港から浮島沼に運河をひく。陸海交通のそろったところで、浮島沼を一大工業地帯にする。
 そして第三期。健全な体育、リクリエーション向上をめざし、大淵〜勢子辻間にスポーツセンター、遊園地をつくる。また生活文化教育などの文化施設を市内に。ここには日常の生活必需品もすべてそろっている住宅は市内高台に。これで私の仕事は全て終わる。
 交通の便は?心配ない。このころになると一家に一台は自家用車を持つようになるから−(西比奈2・製紙工員)

“動きのある”
渡辺美佐子
‐ 写真あり ‐
 2市1町の合併を目前に控えたこの年に成人を迎える事ができた私たちは、自分に対する責任を社会から強いられると同時に、社会に対してすべきことも大きな任務となり、業務となる訳である。この任務というか義務の一つが政治に直接参加することであるので、新年にあたり大きな夢をえがいてみた−。
 “私が市長になったら”まずもって動きのある市にしたいと思う。一口に“動き”といってもこの動きははなはだ難しい動きではある。しかし、考え方によっては、これほど単純でやさしいこともまたないかもしれない。しかしながら、物事は単純なほど扱いにくいものであり、大きなものほどまとめにくいものであるこの単純な、そして、大きなものを一体にできる権威と、それに市民一人一人の接触感などを養い得たとき私は動きのある市の代表者となれると思う−。(田端町・洋裁生)

勤労者本位の行政施策を
中村博行
‐ 写真あり ‐
 「ぼくが市長になったら」ということについて、現実から出発してぼく自身の考えを卒直にのべてみます。現在、県・吉原・富士両市がもっとも力を注いでいるものに、田子の浦港建設と富士川工業用水(これは完成したが)があります。
 この2つの事業は、富士・吉原地帯の農工業全体の振興が目的されています。しかし実際にその施設を利用しているのは大資本ではないでしょうか。田子の浦港は大昭和、本州、旭化成などが3,000トン級の船で鉄道よりも安く原料製品を運搬できるよう計画したものですし、工業用水も大きな製紙会社に利用させたうえその水路は旭化成の工場に導かれています。このように大資本のため、市の費用を投入することをやめ、市民の絶対多数をしめる勤労者のための水道、住宅などの建設、会社及び勤労施設(生活保障など)の拡充改善する。こうしたことをおこなって初めて「市民のための市長」といい得るのではないでしょうか。ぼくも“真の市長”を目ざして努力してゆきたいと思います。(鈴川浜町西・大学生)

愛鷹山を自然公園にする
志村英子
‐ 写真あり ‐
 吉原市は、今後工業都市としてますます発展していくと思います。そこには必然的に“公害”という問題が出てくると思いますので、私はいまからその対策をたてたいと思います。
 それは、市の北部の広大な土地に住居地域と学園地域をつくり、工業地帯と分離させるということです。そして工業地帯との連絡には幅30メートルの道路を建設します。
 また市民の憩いの場として愛鷹山を中心に大自然公園をぜひつくります。(大和町・公務員)

市民のひのえうまに

吉原市長 斉藤滋与史
‐ 写真あり ‐
 ひのえうま(丙午)といえば、ことしは私のあたり年。
 この年に生まれた「女性」は、気性が激しく、亭主をくい殺すという迷信があるようですが、このことをきくたびに、意外な感じがするのです。私たちがこんな迷信を、さも真実のようにいいあっているうちに同じ人間が、ランデブー衛星だの、宇宙の遊泳だのといいているのが現実であり、現代社会だと思います。
 私の市長職もことしが2年目。私もみなさんと同じように“デッカイ夢・抱負”はいっぱいです。懸案の諸施設、住宅、道路、水問題など、早期に解決してまいりたいと思っています。
 ひのえうまが「盛んなる陽気」の代名詞ならば、私はあえて市民の“ひのえうま”にならせていただく覚悟です。
 市民みなさまのご多幸を心からお祈り申しあげ、年頭のご挨拶といたします。

大躍進への最大の努力

市議会議長 勝又竹雄
‐ 写真あり ‐
 市民のみなさま、明けましておめでとうございます。
 ここに希望の新春を迎え、心からお祝い申し上げます。
 顧みますとわが吉原市は年ごとに隆盛の一途をたどりいまや人口9万余り、県下5番目の都市として伸展を続けておりますことはみなさまとともにまことにご同慶にたえません。
 当地区は工業的立地条件に恵まれ大昭和製紙、日産自動車はもとより東海電化、興和、日本食品、藤沢薬品等々諸企業の相継ぐ進出によって一大工業地帯を形成しつつありますことは市民のご協力と市行政運営のよろしきを得た結果であると存じます。しかしながら市民の福祉増進、生活の安定をはかるには、なお幾多の諸問題が山積いたしております。
 この解決にあたっては市財政範囲内に最大の効果をあげ、従来よりの健全財政をあくまでも堅持し、ことしも大躍進の年として市政全般にわたる内容充実に努力を傾注する所存であります。

名馬鬼鹿毛物語

吉原地方史研究会会長 鈴木富男
−写真あり−

−イラストあり−

 馬といえばみなさんは原田妙善寺観音堂(滝川の観音さん)に伝えられている名馬“鬼鹿毛”(おにかげ)の物語をご存じですか。この妙善寺は臨済宗清見寺の末寺で、その寺歴は非常に古く、天平年間僧師行基が聖武天皇の勅を奉じ、全国に81ヵ所の堂塔を建てたときの一寺といわれています。四間四方の観音堂に安置されている本尊は、千手観音で行基の作だといわれております。お堂の中央本尊を祀る厨子の真下に常陸国真壁郡小栗村(現在の茨城県真壁町)小栗城主、小栗判官満重の愛馬「鬼鹿毛」の骨を埋めてあると伝えられています。そこでこの名馬「鬼鹿毛」にまつわる話を、鈴木富男図書館長に聞いてみました。

■物語り
 小栗判官満重、照天姫(てるてるひめ)鬼鹿毛の物語が伝えられている所は五指にあまるが、その物語にはそれぞれ多少の相違がある。わたしは原田妙善寺に残されている勧化帳をもとにこの物語をつづってみた。
 小栗判官重は、鎌倉管領足利持氏に対して「謀叛を企てている」と何者かにざん言され管領軍に攻められた。小栗城はうしろを養蚕川(かいこ)が流れている要害堅固な城でした。しかも将士は勇将満重のもとによく戦った。しかし食糧の欠乏により力つき、判官満重は主従わずか11人で夜陰にまぎれ城を抜け出した。そして三河にいる兄の重弘を頼って、旅商人に変装し、道を東海道にとった。
 判官主従は、相州横山(現在の小山町横山地区、一説には神奈川県藤沢市ともいう)の豪族横山大膳のところに身をよせた横山大膳には「小野小町か照天姫か」といわれた絶世の美女の養女があった。姫は常陸国佐竹大膳太夫の弟佐竹佐内の子で佐一内が色左近将監に攻め滅ぼされたとき、攻撃軍にいた横山大膳がさらってきて、育てていたのが照天姫だった。
 大膳は鬼鹿毛(赤電鹿毛)という人を食い殺したことがたびたびある荒馬をもっていた。この馬にはだれも恐れてちかよらないほどだった。そこで大膳は「この馬を乗りこなした豪の者に、馬とともに照天姫を与える」と布れていたが、申し出るものはなかった。
 判官満重は、音に聞えた馬術の達人であったから、鬼鹿毛をみて「これはよい馬だ」と手綱さばきも鮮やかに、庭さきを自由自在に乗りまわした大膳は「基盤へ乗ってみよ」と難題をだした。しかし判官は見事に盤上に乗った。それをみて、ひそかに敵意を抱いてた大膳の手下たちも、その勇姿に圧倒されてしまった。
 かねてから照天姫に戀慕していた大膳の子三郎は、姫を判官に横取りされたと恨み、その晩おこなわれた祝宴を利用してちん毒を酒に入れて判官主従を毒殺しようと企らんだ。
 この密談を聞いた姫はひそかに判官に耳うちした。家臣たちは知らずに飲んだ酒ですでに五体の自由を失ったようである判官は無理にすすめられた酒を、少し口にしただけだったが、身体中がしびれてきた。判官は照天姫に助けられて、かわやにいくふりをし、その場を抜けだし、鬼鹿毛にまたがり、照天姫を抱きかかえたまま、一散に西に向かってのがれた。
 その頃、原田妙善寺に大空禅師という高僧がいた。ある晩禅師は、気品のある武士が路傍で苦しんでいる夢をみた。不思議に思い、下僕に付近を探させると、寺からほど遠からぬ雑木林の中に倒れている、判官と照天姫をみつけた(一説には禅師と判官は知己の間柄であったという)
 禅師の手厚い看護によって判官は間もなく回復したが、全快とまではいなかった。それから何カ月のあいだ禅師は、鎌倉官領の厳しい詮議から判官を守った。鬼鹿毛の毛並も元のように美しくなったころ、判官は三河に住む兄のところへ出発した。照天姫は人目につくというので同行しなかったが、のちに判官を追って西に向った。
 判官は三河国から丹波の母方の在所を頼っていき、そこに鹿鬼毛をあずけ、紀州熊野の本宮湯の峰で湯治をし、身体の回復に専念した。
 そののち判官は、大空禅師の奔走もあり、足利将軍に許され、横山大膳を亡ぼし、旧領真壁小栗城主となった。
 ある夜、妙善寺の庭さきで突然しそうな馬のいななきが三度聞こえた禅師が出てみると、小栗判官の愛馬鬼鹿毛が倒れていた。駆けよってみるとすでに息たえていた。鬼鹿毛は判官を探してここまでたどりついたのであろう。禅師はけなげな鬼鹿毛の遺体を観音堂の床下に手厚く葬った。そして分骨を鬼鹿毛由縁の地、相州竹の下(小山町)横山部落円通寺に埋葬したのである。(市立図書館長)

‐ 写真あり ‐
(写真説明)・・・名馬“鬼鹿毛”が祀られている妙善寺観音堂

おしらせ

◎造林補助金の申し込み受付中
 林産課では、昭和41年度造林補助金の申し込み受け付けを、次のとおり行います。
◇受付期間 1月14日まで
◇受付場所 市役所林産課
◇補助対象の条件 (1)41年新植(春植)のものだけ(2)植栽地は一団地一反歩以上(3)すぎ、ひのきの苗木は系統確認苗木にかぎる(4)植栽地の地目は山林である。
※申し込みのときには印鑑をおもちください(申し込み用紙は林産課に用意してあります)

◎不用犬買い上げ 1月17日6会場で
◇買い上げ日 1月17日
◇会場 原田支所(10時から10時20分)、吉永支所(10時30分から10時50分)須津支所(11時10分から11時30分)田中公会堂(13時30分から13時40分)元吉原支所(14時から14時20分)保健所(14時30分から15時)
※犬の手帳(手帳のない人はその犬にくわしい人)印かんをおもちください。

◎従業員住宅の融資説明会 21日富士・25日沼津で
 静岡県土木部住宅課では静岡県厚生年金住宅、産業労働者住宅、特定分譲住宅年金福祉事業団など従業員住宅建設資金の融資説明会を次のとおり行います。
◇1月21日 富士市本市場 富士建設業会館
◇1月25日 沼津市平町沼津労働会館
※くわしいことは県住宅課または富士土木事務所建築住宅課へ

◎市民動態調査にご協力を
 市民課では、1月21日から25日まで、市民居住動態調査を行います。調査期間中に、市役所男子職員が各家庭へ伺いますのでご協力ください。

◎衛生業務のお休み ごみは3日、し尿は4日
 衛生課では、12月31日から1月3日まで、ごみ収集作業をお休みいたします。
 また、吉原衛生社、昭和衛生舎では、12月31日から1月4日まで、し尿のくみ取り業務をお休みいたします。

◎山火事を防ごう
 山火事の発生しやすい季節です。次のことに十分注意して山火事の防止につとめてください。
・林内での喫煙はやめる
・林内でのたき火はやめる
・造林地ごしらえで火入れをするばあいは、市長の許可を得てから実施する

◎成人式のご案内
 吉原市では昭和41年度の成人式をつぎのとおり行います。
とき 昭和41年1月15日、10時から
ところ 市民会館大ホール
記念講演会 講師 日本新生活運動協議会長、日本BS連盟理事長、久留島彦三朗氏
該当者 昭和20年4月2日から昭和21年4月1日までに生まれた方
※該当者には市から案内状をさしあげていますが。案内状のつかない方は、直接市教育委員会へご連絡ください。
‐ イラストあり ‐
(イラスト説明)・・・正月は気のゆるむ時

◎市民館だより
◇沼津市労音B例会 1月11日・12日。18時30文から大ホール
◇成人式 1月15日。9時から大ホール
◇小・中学生席書大会作品展 1月15日・16日・17日
◇劇団角笛影絵劇 1月19日。9時から17時大ホール

◎議事録 12月は
◇全国市議会議長会常任理事会(1日)
 東京で開催正副議長、事務局長出席。「国民健康保険制度の改善について」ほか27件審議
◇富士地区公害対策用議会設立総会(6日)
 議長出席「事業計画並びに予算案審議」などを協議
◇厚生委員会(6日)
 「市立病院、火葬場などについて」市当局の報告
◇水対策特別委員会(9日)
 「水対策(恒久対策)について」協議
◇岳南2市1町合併協議会行政委員会(13日)
 富士市で開催、合併委員出席「新市の財政計画について」ほか2件協議
◇建設委員会協議会(13日)
 「水道予算について」ほか3件協議
◇総務委員会協議会(14日)
 「吉原市税外収入金の督促などに関する条例の制定について」ほか3件協議
◇岳南2市1町合併協議会建設委員会(14日)
 吉原市で開催、合併委員出席「各市町の継続予算の調整目標について」ほか2件協議