広報よしわら 昭和41年12月に富士市と鷹岡町と合併した吉原市広報紙の全記録

昭和39年 4月20日発行 内容

進む工業都市づくり 富める吉原市へ

すでに大手7社進出 名実とも東海一に急ピッチ
田子の浦港も重要港湾に

東駿河湾工業整備特別地区の指定、県の総合開発計画地域、田子の浦港の重要港湾指定、東名高速道路のインターチェンジ設置、これらを一つの立地要件として進出する大手筋企業、さらには富士市、鷹岡町との合併問題などをひかえて工業都市吉原は、いま飛躍にむかって大きな変革期をむかえつつあります。これについて現況と今後の計画などを紙面で一望してみましょう。

◇工業特別地域
 東駿河湾工業特別地域は吉原、三島、沼津、富士宮、富士、清水、静岡、焼津の8市と裾野町、長泉町、原町、鷹岡町、富士川町、由比町、清水町の7町でその面積は1,550平方メートル(県下の19.9パーセント)人口112万8,000人(県下の40.9パーセント)をしめ、昭和34年、国から7大工業地帯の一つとして指定をうけています。
 いっぽう県では、これらの地域を対象に昭和26年から10ヵ年にわたる第一期総合開発計画を策定、さらに昭和36年から45年までを目標とする10ヵ年の開発計画をつくり、つづいて工業特別地域の指定にともない、あらたに39年から45年までの7ヵ年計画の策定を検討中です。したがってこれからの開発計画は国、県、市の三者によって立案、執行の方法がとられるわけですが、市としてもこれらの情勢をもとに、今後は工業主要圏として前向きの施策を展開することになるでしょう。
 なお、今国会に工業特別地域整備促進法案が提出されているので、具体的な行政施策はこの立法化をまって計画されることになります。

◇田子の浦港
 田子の浦港はそのむかし吉原港とよばれたこの地方の物資集散港として、あるいは原始漁業の根拠地として繁栄していました。しかし陸上交通の発達や漂流土砂のため廃港同様になってしまいました。ところがさいきん吉原市を中心とする岳南工業地帯の発達で陸上交通はマヒ、このため県の総合開発計画によって掘込式港湾として立案、昭和33年から総工費70億円をもってこの廃港に強大なメスが入れられたのです。その後工事も急ピッチに進み近い将来には開放貿易港としての準備もされています。
 工事完成の40年の計画としては最大入港船舶1万重量トン、泊地面積は36万平方メートルで年間には250万トンの荷扱量ができると推定もされ、また沼川や江川に運河をつくり300トンの機帆船を航行させて工場に搬出入する貨物をあつかう計画もあります。

◇高速道路
 東京〜名古屋間を三時間で通りぬけできるという東名高速自動車道路も現在その用地買収、下調べをおこなっています。この高速道路は1メートル80万円が工事費となりますから約10キロメートルはある市内の通過だけでも80億円の工事費がつかわれるデラックスなものです。
 交通量は1時間で4,000台とみられ、船津から江ノ尾〜中里〜比奈〜三ツ沢〜石坂北部をとおり伝法にぬけ巾員も最高120メートルで、せまいところでも40メートルぐらいあり、スピード数も80キロ‐100キロをだすことができます。この附近ではインターチェンジできるのは吉原のほか沼津御殿場の2ヶ所で、このほかのところでは車の出入りができません。吉原〜静岡間は土木工事を39年度中に完了して40年には工事が始められる予定で、3年度には完成されます。

◇新幹線
 東京‐大阪間約515キロを3時間でつつ走る国鉄ご自慢の“夢の超特急”東海道新幹線工事は着々進み10月の東京オリンピックを開通日にと、いま最後の工事に拍車がかけられています。
 吉原市における工事も8分どおり完成、あとは自動的に列車をとめることのできるA・T・C信号のとりつけ工事や、駅と駅との間の通信機の新設工事が中心におこなわれます。市内の延長は約6キロメートルで工事費には15億8,000万円がつかわれています。この付近での停車駅は静岡と熱海です。
 この地からみる富士山や四季とりどりの草花は遠く海外にも名をはくし、これからも多くの人の旅情をなぐさめてくれることでしょう。

‐ 写真あり ‐
( 写真説明)・・・8分どおり出来上がり、信号機、通信機のとりつけを急ぐ“新幹線工事現場”(4月15日)

◇結び
 以上のように私達の住む吉原は、将来の発展に向かっていま漸くその姿態を変えようとしています。
 いままで富士山の山ふところに抱かれ比較的時代の変革に直接的影響をうけなかった私達の郷土は、陸に海にその息吹の門を開き東海の主要工業都市としてその歩を進めつつあるのです。

‐ 写真あり ‐
( 写真説明)・・・40年を完成目標に着々整備される田子の浦港(後方)と、巨大なパイプラインを使い海の土砂をすいあげて埋め立てをするN食品会社(前方)を空から望む

給食センター完成

 吉原給食事業協同組合による「吉原給食」施設がこの程完成、4月28日その落成式が行われます。
 この施設については、中小企業従業員の厚生福利対策の一助とともに勤労者の保健、体位向上という点からかねて当市局も力こぶを入れ、組合側と協調近代的施設の完成となったものです。施設の規模は、一食通常5,000食で特に流動作業能率の効果をはかるため、独創的設備配置及び、完全衛生設備に考慮がはらわれています。
 敷地面積は1,757平方メートル(600坪)施設は厨房室、副資材室、事務室、浴室(付属洗濯場)で新築工事費は土地購入費をふくめて4,300万円です。

軌道にのる工場誘致 近代工業化への条件そろう

 吉原市が、工場誘致を行政的にとりあげたのは、昭和34年の東海電化工業からで、これが積極性を加えたのは一昨年末です。それは田子の浦港の築港にともなう海路輸送の実現、高速道路インターチェンジの市内決定、工業用水、豊富な用地適地、地理的に東京‐名古屋のほぼ中間地にあること、さらに富士山を背景にした風光の明眉さなど数々の条件が主要魅力となり企業進出が活発になったもので、現在までに進出誘致の決定したものは、日本建設機械協会付属建設機械研究所、サンエス石膏、佐野鋼材、日本食品、興和株式会社、藤沢薬品、大阪セメントなどで、合計坪数は約20万坪です。これらの会社企業は県計画地域の港湾背後地22万坪、また市が工場適地として選定したところにそれぞれ誘致の決定をみたものです。そのほか合計213万坪の適地が港湾背後地をふくめ市内9ヶ所にあります。
 工場の誘致については田子の浦港開発事務局、市商工課がおこなっていますが誘致の結果は市税収の増加を基本に各面について市民生活の向上につながってくるのです。

失業者に就職を斡旋 職業訓練などを指導して

 働きたいが年をとっているため雇ってくれるところがない、あるいは身体が不自由なため就職口がみつからないという人たちのために一定の期間とくべつの就職指導をおこなって技能を身につけさせ就職をあっせんしよう…と吉原公共職業安定所では「就職促進の措置」をおこなっています。
 指導中は職業訓練手当や就職指導手当が支給されますが、げんざい失業保険金などをうけている人は手当ては支給されません。
 中高年令の失業者で希望する人はつぎによって吉原公共職業安定所に申し込んでください。
◇措置を受けられる人
 満35才以上で現在失業している人
 身体障害のため、とくに就職がむづかしいと思われる失業者の人
◇措置の受けられる条件
(1)誠実で熱心に就職活動をおこなうことができること
(2)げんざい公共職業安定所に求職の申し込みをしていること
(3)所得税額が一定の額をこえていないこと
◇申請の手続き方法
 公共職業安定所にいけば認定申請書および納税証明書の用紙がありますから、それに記載事項を書いて係に提出してください。
◇支給される手当
(1)職業訓練手当‐訓練手当、技能習得手当、寄宿手当
(2)就職指導手当
※くわしくは吉原公共職業安定所職業紹介係にお問いあわせください。

人口の動き(昭和39年3月31日現在)

男 4万3,365人
女 4万2,624人
計 8万5,990人
世帯数 1万8,485世帯