広報よしわら 昭和41年11月に富士市と鷹岡町と合併した吉原市広報紙の全記録

昭和41年 4月28日発行 内容

はじめに

いま、私達の2市1町、つまり、吉原市・富士市・鷹岡町は、合併して新しい一つの街に生まれ変わりしっかりした立派な「街づくり」をしようとしています。そして、目標を今年の11月と決めました。そこで、
1、なぜ一つになる(合併)必要があるのか?
2、合併するとどうなるのか?
3、合併すれば立派な街づくりができるのか?
いろいろと解らないことや、心配なことが沢山あると思いますが、よく知り、考え、お互いに理解し合ってこの私達の郷土を正しく発展させようではありませんか。

合併をしようとした考えのもと

‐ 写真あり ‐
(写真説明)・・・協議会長 斉藤吉原市長
(写真説明)・・・全副会長 漆畑富士市長
(写真説明)・・・全副会長 植田鷹岡町長

世界に名高い雄峰「富士」の南麓にひらけた私達の岳南地区は、早くから製紙工業を中心に栄えてきました。殊に最近は、工業生産の街として驚くほどの発展をし、強い立派な一つの経済のまとまりとして成り立っているばかりでなく、17万人にも及ぶ地域の住民は人情や風俗、いろいろなならわしなどを同じくし、しかも、土地柄や社会とのつながり、文化の交わり程度など、もう別々にしては考えられない深い関係をもつようになりました。これに加えて、田子浦港が造られてその広い背後地が利用されたり、国鉄の新幹線、近く完成する東名高速道路、それに、国道1号線バイパスの建設、大きな力で工業用水を導き入れるなど、工業を成り立たせて行く重要な問題が矢次早やに整えられてきたのです。こうした関係もあって、国でもこの地方の将来には大きな期待と望みをかけ、「東駿河湾」という地区の中の「工業整備特別地域」つまり「工業を中心にこの地方一帯をもっともっと栄えさせて、日本の国の経済を豊にする大事な地方なのですよ!」ということを明らかにしたわけです。しかし経済の面からだけの発展では、決して正しい街づくりができるものではありません。やはり、それと一緒に皆さんの「暮し」の面でも幸福になれるような計画や研究、また、必要なことを改めてゆくことがとても大切であり、急がねばならないのです。
そこで、こうした大切な時期をとらえて私達2市1町が、大きな新しい、しかも確りした一つのまとまりとなり「まつりごと」の力も、金の力もあわせて豊かな街づくりをするために合併をすることは、むしろ遠い昔から今日を約束付けられていた当然の結果だともいえるのではないでしょうか。

合併はこのようにして

1、合併は、2市1町17万住民皆さんの声を土台とし、しかも、福祉が大きく増進するようにする。
2、合併時期をはじめ、合併に必要ないろいろのことを決めるには、あらゆる問題をよく考え合わせた上できめる。
3、合併のかたちは、2市1町がお互いに「対等の立場」ということであって、財産とか建物、債券、債務、またその他の権利や義務なども全部新しい市に引き継ぐ。
4、新しい市の建設計画を作るときには、経済の面を開発していくだけではなく、「暮らし」にあうような社会的な面での福祉を一緒に開発する。また、この地区の性格を生かし、皆さんにおよぼす福祉が新しい市のそれぞれの方面に具合よく与えられようにする。
5、この合併について、行、財政つまり「まつりごと」の面でも、お金の面でも必要なことは国や県によく話して円満にゆけるよう求める。
6、合併の相談をはじめ、あらゆる問題について2市1町はいつも大きく、高い立場から見たり考えたりして、お互いの人格を尊び合い、約束を守り、まごころをもって話し合う。そして、皆さんが信じ合い心の和やかさをもって新しく生まれてくる市民の期待にこたえられるようなすこやかで、明るい、しかもいまの文明に似合った「素晴らしい街づくり」に一生懸命で努力する。

‐ イラストあり ‐
(イラスト説明)・・・ありゃ!一体なんでーな?