広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和41年 1月1日発行 内容

世帯と人口(40年12月1日現在)

面積 30.55平方キロメートル
人口総数 5万4,597人
男 2万7,967人
女 2万6,630人
世帯数 1万1,994世帯

迎春 1966

−写真あり−

明けましておめでとうございます 意義ある充実した年に

 市民のみなさん、新年おめでとうございます。
 昭和41年のすがすがしいお正月をお元気でお迎えになられたことでしょう。
 昭和元年に生まれた方は不惑をこえられて、人生でもっとも円熟する年代に入り、終戦の昭和20年に生まれた方は、成人の日を迎え社会人として、前途に輝かしい人生が待ち受けております。わたくしたちは、この昭和41年をほんとうに意義ある充実した年とするよう努力してまいりましょう。
▽さて、お正月の年始が一応、終わりますと、4日は官庁の「ご用始め」一般会社も同様に仕事始めです。6日は小寒で寒さもいよいよきびしくなります。
▽15日は「成人の日」終戦の混乱期に生を受け、苦しい戦後を生きぬいて生まれ育った若人たちに栄光が輝くよう心からお祝いしたいものです。
▽20日は大寒、1年中でいちばん寒いといわれる日です。どうか、かぜなどひかないよう十分ご注意ください。

ことしこそ総上げの年に 富士市長 漆畑 五六

−写真あり(漆畑市長)−

 明けましておめでとうございます。市民の皆さんには、つつがなく昭和41年の初春を迎えられたことと存じ、心からお慶び申上げます。経済不況の荒波が打ち寄せた昨年は、誠に大変な1年でございました。ベトナムの紛争を中心とする世界の動向も、日韓問題を頂点としたわが国の政情も、ともにめまぐるしいものでありましたが、それにもまして不況ムードに満ちた日本経済の今後の動きこそ私達の最も関心の高い問題でございます。
 さて、当富士市政にとりましては、昭和40年は、将来の歴史に残るような意義深い1年でございました。私は、市長就任以来、最終の第4年目に当りますので従来にもまして渾身の努力を市政の各般に傾注してまいりました。幸い、市議会をはじめ市民各位の力強いご協力により、各種の重要事業は、その殆どが完成または、解決の段階となり得ましたことに対し衷心より感謝申し上げる次第でございます。しかしながら新しい昭和41年こそ富士市政は重大な岐路にたつと申し上げねばならないと存じます。東駿河湾工業整備特別地域の中枢としての田子浦港は  市制施行10周年記念事業として前年から実施してまいった富士文化センターは工事も極めて順調に進み、今春3月24日を期して落成する予定でございます。以上申し上げました如く市政は各般の分野にわたって総仕上げの年となってまいりました。しかるところ、景気回復への政府の諸施策にもかかわらず、経済は一向に好転のきざしさえ現われずかてて加えて減税にかかる税制改正、企業収益の減退等、市財政に及ぼす影響は予測し難く、昭和41年度の当市財政運営はまことに容易ならざるものがあります。私は、この際こそ、財政の健全性を堅持しつつ投  最後に前年まで積極的に進めてまいりました富士、吉原、鷹岡の2市1町合併問題につきましては、私は特に協議会の会長として、引続き誠心誠意、新市民全体の福祉の増進を基調として互いに大局的見地にたち、互譲の精神に基いて、理想的な新都市建設に最大限の努力を注いでまいりたい考えであります。本年も健康で十分なるご活躍をいただき郷土のため一層のお力添えを賜わりますよう心からお願い申し上げます。

「ななくさがゆ」の由来

 正月7日の朝に「ななくさがゆ」をたいて祝う風習は、古くから行なわれた、われわれ日本人の年中行事の1つです。最近はこうした行事もだんだんすたれてきましたが「ななぐさがゆ」などは、日本人独特の祝いごとの1つとして、受けついでいきたいものです。
 「ななぐさがゆ」の風習の始まりは、平安朝時代以前からといわれています。当初は、七草でなくて7つの穀物(いね、むぎ、まめ、あわ、あずき、きび、こむぎ)であったようで、これらをかゆにたいたものでした。それがいつしか七草(せり、なずな、はこべ、ははこぐさ、おおばこ、すずな、だいこん)などの野草や野菜にかわったのです。
 一説には、前者の七穀を正月の供物として供えたあと、7日に後者の七草といっしょに雑炊にしたのが「ななくさがゆ」であるといわれています。
 この「ななぐさがゆ」を現代的に考えてみると、案外、生活の知恵として、わたくしたちの正月の食生活に利用できます。
 すなわち、とかく正月は胃腸の負担が過重になり勝ちです。野菜がゆで胃腸に休養を与えることはしごく合理的なことといえます。同時に、とかく不足勝ちな野菜をとることによって、ビタミンCの補給もできるというわけです。ですから「ななぐさがゆ」の風習は、わたくしたちの祖先が長い才月をかけて、直感的に学びとった生活の知恵ともいうことができます。