広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和39年 5月1日発行 内容

豊かな水に万才の声
工費22億円と6年の才月を要す
待望の富士川用水事業が完成

−写真あり−
(写真説明左上)・・・竣工をみた滝戸口
(写真説明左下)・・・開門式でテープを切る斉藤知事
(写真説明右上)・・・音をたてて流れ落ちる滝戸口
(写真説明右下)・・・トンネル坑内

 待望久しかった富士川用水事業が昭和33年着工以来、6年有余の長い才月と総事業費22億円の巨費を投じみごとに完成しました。この完成によってかつての“加島五千石”といわれた美田1,148ヘクタールと田子浦周辺の各種工場へそれぞれ農工業用水として補給、これで長い間の懸案であった深刻な水不足は一挙に解決、岳南地区の産業経済は更に伸展するものとその期待は大きいものがあります。
 この日まず午前10時から富士市滝戸口で世紀の難工事といわれたトンネル工事で尊い命をうばわれた9人の犠牲者の慰霊祭が、しめやかのうちに行われたあと午後1時から芝川町のみかづき島発電所の取水口で開門式が行われ続いて斉藤知事がテープを切って漆畑富士市長ら関係者がトンネル内に入り地下30メートルの機械室で斉藤県知事の手によってスイッチが入れられ水門のハンドルを回すとものすごい音をたてて水勢はたちまち延々7,000メートルのトンネルを通って富士市滝戸口に流れ出し思わず万才の声が各所からドットあがりました。
 ついで午後2時から富士市滝戸口において神事により通水式ならびに竣工式が行われ斉藤知事がクス玉をわれば紙フブキに五色のテープと共に記念のハトが飛び出し雨模様の空を旋回する…。
 そして豊富な水量と良好な水質を誇る1日約87万トン(毎秒10.3トン)という水がこの滝戸口から農業用水としてまた工業用水として下流一帯へ流れ出していきました。
 終わって午後3時すぎ市立富士中学校体育館で国および県を始め関係市町村の来賓500余名をむかえて完成記念祝賀パーティーが盛大に開かれました。

工事の概要
 昭和32年までに各種調査を完了し、翌年33年より上流から芝川町地先の吉田および沼久保、星山、下高原、滝戸口など8か所のトンネル工事を開始し、星山より上流工区は工事も順調に進みましたが、星山下口トンネルより滝戸口間約2,741メートルは地下水を含んだ砂礫層に出あい大小103回、2,901メートルという土砂噴流事故が発生し、わが国トンネル史上類を見ない軟弱地盤の工事となり9名の尊い犠牲者と多数の負傷者を出しました。
 この湧水地帯については、トンネル掘削方法のあらゆる工法を採用し特に掘削に困難となった下高原上下口および滝戸口はトンネル内に隔壁を設けて圧気工法や薬液注入を併用して無事に昭和38年11月にトンネルの全線貫通し以来4か月トンネル内部の整理、分水等の導水工事を完了してこの3月末ようやく全工事の完成をみたものであります。
 なおこの事業の完成によって農作物の収益および工業用水の供給により各種産業の品質向上生産の増加はいちじるしいものがあります。