広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和38年 5月1日発行 内容

解説 礫耕栽培とは

 礫耕栽培とは土を使用しないで、豆砂利(礫)に植え作物が工業薬品を使用した肥料液(培養液)の循環によって栽培することを云います。
 二棟つづきの温室(370平方メートル)を1つか2つ建てその中の地面に巾80センチメートル長さ27メートル深さ25センチメートル程みぞを何本か掘り水洩れのないように木の枠かコンクリートでかこって小豆粒位の石を入れるこれは野菜を作るベットです。肥料をとかした水心臓部であるタンクの中よりポンプで1日3、4回自動的に流してやる。これは機械が、自動的にきまった時間がくれば勝手にモータースイッチがはいり肥料水がベットに流れる仕組です。
 雑草は出ません。手間はほとんどかからなく温室内の気温に充分注意すればよいわけです。
 土を使う農業は毎年蔬菜を作ると収穫がへります。耕作はこの心配がいりませんが、化学的知識を利用した特殊栽培でありますので、施設を作ること栽培する時の基本、特に植物防疫には注意を必要としています。

‐ 写真あり ‐
(写真説明上)・・・礫耕栽培ガラス室の全景
(写真説明下)・・・礫耕で実った新鮮なトマト

脚光あびる礫耕栽培
連日にわたり視察団が殺到

 富士市は駿河湾臨海工業地帯として田子浦港の開発と相まって工場進出は目ざましく都市化は急速に進んでいくので農業地域は都市近郊農業に移らざるを得ない一大変革期にあります。
 そこで、農業構造改善と云う大きな課題をかかえ農業も周辺の立地とあわせ急激に変貌しなければならない運命にあるための農業改善対策として礫耕栽培を採り上げたわけであります。
 この栽培は農家の近代化に対する生産意欲と関係機関と指導者の幾多の努力の賜により地域集団の一大主産地形成を目ざす施設が出来上り日本農業に新しい農法を生み出しました。礫耕栽培は水耕栽培の一形式で1934年より始められたと云われており戦後米軍が東京都下と大津に設けられたがこれらの施設や資料の公表もほとんどなく我が国の農業経営には到底採用され得ないものとされ普及もされなかったという。しかし、産業経済の発展につれて先進園芸地帯で激しくなった労力不足連作碍害に対処するため礫耕栽培を農林省(興津)園芸試験場が試験的に  礫耕栽培は資本を多額に要しますが、機械化の近代そ菜園芸の方向として今や大きく全国に、クローズアップされて北は、北海道、南は鹿児島、遠くは沖縄、台湾などより視察者が毎日富士市を訪れ多くの照会を行っています。まだまだ一大企業化の実施にするまでは、施設集団化技術指導の強力なる一本化、一般希望農家の新しい技術の体得えの体勢、分析センターの設置による医師的役割と種々研究問題もありますが、これを解消し現在までの試験研究を基礎とし更に新しい栽培方途の確立を目ざし一歩一歩着実に礫耕栽培の前進を致したいものです。

佐野道江さん
行政苦情相談委員に再選

 静岡行政監査局では、県内のすべての国の役所および国の補助や委任のある県市町村の業務について、その業務が、国民の便宜を考えて、適正かつ親切迅速に行われているかどうかを調べておりますが、その仕事の一部として当局内に「行政相談所」を開設、常時県民のみなさんから役所の仕事についての行政苦情の御相談を受け、納得のいく解決処理を致しております。
 日常生活を通じ役所の仕事について、お困りのことや、ご不審の点などがありましたら、どんな役所の仕事でも結構ですからご遠慮なくお申出下さい。
 相談は一切無料で秘密は固く守ります。
 なお富士市には、行政苦情相談委員として行政管理庁長官より次の方が再選されました。

◇市内国久6班
 株式会社富士ブレード製作所
 社長 佐野道江

富士商業青年学級生徒募集

 富士市教育委員会および、富士商工会議所共催により県下でも非常に好評を受けております。富士商業青年学級は、本年も引続き開設いたしますので、下記のとおり侵入生徒を募集します。市内商店に勤める青年男女の多数申込みされるよう御案内いたします。

開設期間 5月20日から昭和39年3月10日まで
開設場所 市立富士公民館
学習時間 毎週火曜日と金曜日(夜7時〜9時)
募集人員 50名
学習内容 ペン習字、簿記、珠算、英語、商業一般、その他
申込み期間 5月1日から5月15日まで
申込み場所 市教育委員会、富士商工会議所、富士公民館又は分館

尚ご不審の点がありましたら、市教育委員会へお問い合せ下さい。

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