総工費約8,600万円をかけて昭和35年9月から市内三四軒屋地先南端の汐除堤防西側に1万890平方メートル(約3,330坪)という広い敷地に建設中でありました富士市のし尿処理場が、予定より少しおくれて本年3月31日完成、5月2日竣工検査を終え近く本格的に事業を開始することになりました。
このし尿処理場は、加温式二段消化方式で完全に化学処理をされ計画収集人口および処理対象人口を5万7,000人とし、54キロリットル(約300石)の処理能力を有しております。まず処理方法は、ふん尿を投入槽に入れ、ここでスクリーンによって紙片など雑物を取り除いたあと投入ポンプによって第一消化槽に送り込みここで摂氏35度ぐらいに加温して15日間化学処理し、さらに第二消化槽にうつしここでも第一消化槽と同じ方法で更に15日間おき、これをこんどは撒布ろ床と沈殿池の順序に処理していき最後に滅きん池で塩素滅きんした上衛生上
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(写真説明)・・・近く事業開始するし尿処理場の全景
水道の申込みをお早く
本年度も次の通り道路の舗装計画があり、舗装されると簡易なもので1ヵ年、高級舗装は5ヵ年間は水道管の埋設ができなくなりますので、未加入者は勿論、将来宅地化の予定者は、公道部分の水道引込みを至急申込んで下さい。
◇県道
▼田子浦港富士停車場線(上横割第二小前、十兵衛八幡前地内)
▼静岡下田線(塔ノ木、川原宿、高島地内)
▼鷹岡柚ノ木線(新町、林町、旭町地内)
◇市道
▼加島町地内市道(国道、富士ブレード間鷹岡線西側)
▼新町富士川線(新町地内)
▼富士鷹岡線(松本堅堀駅前、富鷹橋間)
▼十兵衛工場線(十兵衛三叉路、東芝工場入口間)
▼水戸島宮下線(水戸島市川製材前、森島経由、宮下焼却場間)
▼新浜前田新田線(新浜、前田新田間浜通り)
明るい住みよいわが家に
今年も大掃除がはじまっております。面倒だから今年はさぼっていいだろう…といわないで、ぜひ家の中の1年のアカを落とし、明るいきれいな住みよいわが家にいたしましょう。
春の大掃除は「梅雨」の来る前にぜひやっておきたいものです。
梅雨までにはまだ間がありますが大掃除は地区ごとに全体で行うことで効果があがりますから、実施期日が早いからといって近所で行っているのに自分のところはやらないということはやめましょう。
また、大掃除は、前々から手順をきめておいて、家族全員が協力してやれば大変な仕事ではありません。家具の運搬役、掃除役などそれぞれ役目を分担すれば流れ作業式にスムースに掃除ができます。
縁の下へ風を
普段風通しの悪い縁の下などへは、とくに風を入れて、きれいに掃除しましょう。伝染病などの予防に効果があります。
その他、重たい家具なども面倒がらずに動かして風を入れたり、ホコリを落すことにしましょう。こんなときでないと、重たいもの大きなものは普段動かすことができないからです。
畳もその一つですが、ホコリをたくさん吸っています。十分に畳をたたいてホコリを出し、日干にしますと、寝具を干したときのようになかなか気持がよいものです。
ゴミの焼却
紙くずのように焼けるものは、風向きなどを注意して、焼いてしまうのも一つの方法ですが、近所に防火用の水を用意することは忘れないでください。
身体の不自由な子供をお持ちの親としてなんとか普通の子供と同じように出来るまでに治療したいと思っておられることと思います。
つきましては下記の日時に医師並に児童福祉司が来富し御相談に応ずることとなりましたからお知らせ致します。
▼日時 5月15日 火曜日 午前9時〜3時まで
▼場所 富士市勤労者会館
▼医師 静岡養護園医師
▼相談員 沼津児童相談所職員 富士市福祉事務所職員
尚詳細については当市福祉事務所に電話でお聞き下さい。
11日は「県民交通安全の日」
春の交通安全運動は、ことしも5月11日から20日まで県下一斉に実施されます。
そこで県はさきごろ県警本部など交通行政に関係のある各官公庁ならびに民間団体などと協議し、「県交通安全対策協議会」を発足、5月11日を「県民交通安全の日」として各種事業をくりひろげ、総合的な交通安全を推し進めることになりました。
11日の主な行事はつぎのとおりです。
(1)労働基準局が各事業所に安全旗を掲揚させ、交通安全に関する行事をお行わさせる。
(2)陸運事務所は車両検査を行う
(3)建設省は道路標識の清掃、新設設備を行う。
(4)教育委員会は、学童の交通訓練と登下校の交通整理の強化を行う。
(5)警察は街頭における交通指導取締りを強化する。
(6)各地区では1日交通警察官として約2,000人が出て交通整理にあたる。
(7)県民交通安全の日大会の開催とパレードを実施する。
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(写真説明)・・・危ない居眠り運転
日本写真協会で
社団法人日本写真協会は、創立10周年の記念事業の一つとして「写真資料発掘運動」を6月末日まで実施し、みなさまのお手元に保存してある幕末、明治、大正、昭和(戦前)の貴重な写真をはじめカメラ、レンズ、書籍、雑誌、文献などの資料を広く集めております。
応募の要領は、つぎのとおりですが、御所蔵者は、住所氏名をハッキリ書き東京都中央区八重洲6丁目1番地、日本写真協会あて御連絡下さい。
◇応募の要領
1 御出品は、展示終了後、原則として出品者にお返しします
2 出品は慎重に取扱い、本会保管中は福岡銀行貸金庫に保管し、盗難、火災等は絶無を期しております。
3 出品については(イ)返却を望む(ロ)寄贈する(ハ)寄託したい(ニ)譲渡したい(この場合は具体的な条件をお示し下さい)などと書いて下さい。
4 資料を寄贈された方には、感謝状と記念品を贈呈します。
5 写真は原則として原画を望むが複写でも採用することがあります。
6 展示会の出品は特製のショーケースに納めて展示に供します。
深井譲先生の像(2)
像は富士市立第一小学校玄関前にあります。先生の姓は深井、名は譲、号は桝村といった。江戸の人で儒学を昌平校に修め、明治6年、当時平垣村にあった稲中舎の訓導として招かれ、明治10年、加島小学校の創立と共に校長に就任しました。以来明治38年まで前後30有余年、教職の任にあると共に、私塾を開き徳をもって青年を導き、村治に留意して農民を善導し、又県議会議員となって、県政にも参与しました。
先生は人情厚く、非常につつしみ深い人で、少しも名誉や利益を求めず常に学んで怠らず、又ていねいに教えさとし、一世の儒学学者でありました。だから村の仲間は勿論近隣までも徳化した。明治38年12月20日病歿され、加島村は村葬の礼をもって、平垣金正寺に葬ったのであります。
昭和12年、富士小学校創立60年、先生三十三回忌にあたり、門弟らが相談して、先生の胸像を鋳造して、母校玄関前に安置した。
しかるに太平洋戦争の際、金属・収のため取りこわしになり、その台石のみがむなしく雨露にさらされていました。
終戦の後、心ある人達は、復旧の一日も早いことをねがっておりましたが、いよいよその機が熟して、昭和25年、深井先生報恩会を組織し、最初の胸像製作者、長谷秀雄氏の快諾を得て、胸像は改鋳され同年11月3日文化の日に、盛なる除幕式を挙げ、旧態に復したのであります。
深井先生墓銘(原漢文)
君名は譲、字は子尚、桝村と号す、深井は其の姓なり。天保八年丁酉(註。西紀一八三七)十二月廿五日を以て、武蔵国葛飾郡本所猿江に生れ、明治三十八年乙己(註。西紀一九〇五)十二月廿日を以て駿河国富士郡加嶋村本市場に歿す。享年六十九。同月廿二日荼毘す。其の遺骨を分ちて、三処に埋む。一は即ち東京下谷区谷中三崎町明王院先考の墓側に、一は即ち東京府荏原郡南品川正徳寺妣の墓側に一は即ち当寺なり。けだし君の遺言に依る者なり。
明治三十九年三月十三日
建長寺管長 菅原時保
法号 随性院常譲桝村居士
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(イラスト説明)・・・明るい一家