広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和36年 1月1日発行 内容

1961年 迎新春

‐ 写真あり ‐

年頭の辞

富士市長 遠藤脩治

 昭和36年の輝ける新春を迎え、市民の皆様に心からお祝いを申し上げます。
 昨年は、黄金の1960年といわれ、わが国経済の成長は目覚ましいものがありました。国際収支の好調持続、生産能力の増大、貿易条件の好転等により、前年の神武景気に拍車をかけ、まれに見る高原景気、高水準の経済をもたらしたのであります。そして更には国民所得倍増計画が打ち出され、誠に岩戸景気というにふさわしい年でありました。
 わが富士市におきましても、各企業体の設備投資等による自然増収は市財政を潤し、健全財政の鉄則を守りつつもあらゆる面に相当の財政投資がなされたのであります。すでに御承知の通り、約6,000戸に近い配水戸数を持つ水道事業が、あるいは立体橋富士大橋、第二小学校第二期工事等が次々に完成しまた、懸案のし尿処理場、田子浦港漁港開発等の新規事業も着々進められ、将来の大富士市発展を目指す多くの礎を築いたのであります。しかしながら、市制施行満7年を迎えた当市は、他の都市に比べますとまだ少年期に入ったばかりの非常に若い市であ  何卒倍旧の御支援、御鞭撻をお願いすると共に、市民各位の御幸福と御健康をお祈りして、新年の御挨拶と致します。

年頭のことば

富士市議会議長 服部国太郎

 輝かしい昭和36年の新春を迎え、市民各位の御健康と御繁栄を心より祈念いたし、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 米ソ二大国を中心とする世界の政情は必ずしも好転いたしたとは申されず、かえって西欧、近国内は骨肉相喰む混乱を生じ、恒久的平和の礎は、昨年もかけ声だけに終わった感があります。安保改訂のあらしに暮れた国政は総選挙を通して一新され、今年こそ何よりも国民の福祉増進のための諸政策が取られることを期待いたしたいと存じます。
 翻って富士市政の動向を見ますと、待望の田子浦港は本年一部開港が見込まれ、臨海工業地帯としての整備は進み、引続き斉藤県政のバックボーンたる第6次総合開発事業が推進されてまいる事と察するのであります。一方国鉄新幹線は既に路線の最終決定に迫られており、富士駅総合改修事業も本年は大いなる進捗が予測されるのであります。これらの大事業と相関連して都市計画道路の新設、整備、舗装はもとより、第二中学校の建設も実現いたさねばなりません。上水道は配水池の築造を近く完工し、各位の期待に副いえましょうし、昨年度多大な御協力を願  旧ろう12月16日市議会は第6回臨時会において正副議長、常任、特別委員等の改選を行い、不肖私が議長の要職を担うこととなり、副議長には渡辺春恵君が選任いたされました。私は市議会議長の職責の重大さにかんがみ、議員諸君とともに誓って各位の与望にこたえるべく全力を尽くしたい覚悟であります。
 茲に1961年の新春に当たり、市民各位の御支援御協力を市議会に賜りますようお願いいたし年頭の御挨拶といたします。

ことしはうし年

‐ イラストあり ‐

牛はよく働き大昔から人類のよき協力者(?)となって私達を幸福に導く労力を提供してくれた。ゆりかごの頃より忘れる事の出来ないあのミルクも牛たちの贈りものである。夜空でうすぎを掛けた様に美しい銀河もエジプトの「天のめ牛」の乳が天に流れたあとだといい伝えられている。
むかし福島県相馬市に細田の金兵衛というおじいさんがいました。よく牛を連れては天明山麓に柴刈りに行きました。ある冬の寒い日にいつもの様に山麓まできた時、洞の中に一匹の小熊が寒さにふるえているのを見つけました。金兵衛はかわいそうに思い家に連れて帰り、牛につけてその乳を飲ませました。牛はよく小熊をいたわり何年か育てました。その頃八幡村の雷神社の祭礼に斗牛があることになっていました。いまの日立村立谷に力自慢の大牛がおりまして毎年大勝利を得て評判が高く、本年も優勝しようとして毎日練習をしていることでした。ところが、 やがて時間になっても、立谷の牛の姿は見えません。立谷の方では斗牛の準備をしていたのですが、当日の朝になって昨夜まで元気でいた牛の姿が見えず、あわててさがしたところ、あたり一面に大熊の足跡がついているのを見つけました。立谷の牛は大熊にさらわれたのでした。それで立谷の牛は不参加のため金牛は不戦勝、本年の優勝ときまり、山と積まれた宝を背負って村に帰りました。大熊は幾年か前に恩を受けたあの大熊だったに相違ないということです。(相馬伝説集より)

明けましておめでとうございます

市長 遠藤脩治
助役 遠藤 栄
収入 武内秀道
総務課長 内山正巳
文書課長 落合広治
土木課長 佐野清一
税務課長 長洲幹彦
戸籍課長 望月藤作
商工課長 望月雅巳
厚生課長 滝川隣竜
衛生課長 鈴木敏三
水道課長 北村良作
保険課長 栗原 勝
都市計画課長 美濃仁一郎
農産課長 後藤竜雄
職員一同

教育委員会事務局
教育長 涌田隆一
総務課長 稲垣正義
指導課長 塩川辰義
職員一同

市立富士中央病院
院長 多々良寿雄
副院長 児玉実光
副院長 滝本房一
総務部長 広瀬国助
職員一同

人口の動き

人口総数 4万6,552人
男 2万3,329人
女 2万3,223人
世帯数 9,160世帯
転入 211人
転出 152人
出生 94人
死亡 19人
婚姻63件 離婚3件 死産18件
(昭和35年12月1日現在、住民登録による)