広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和35年 8月1日発行 内容

楽しい夏休みに

夜間の外出は父兄同伴で9時まで

 いよいよ夏休みです。
 子ども達には一番嬉しいお休みですが、家庭にとっては、いろいろと気を遣うことの多い期間です。
 休みの始まりは7月21日からが、二小、田子浦小、岩小、岩中、22日からが一小と富士中23日からが田子浦中です。
 第二学期は9月1日からです。
この約40日間は、主として家庭に在って過すわけでありますが、どうか事故もなく、病気もせず、元気で、お宅の方と相談したり、自分でよく考えたりして決めた日々の生活日課を、しっかり守って立派に暮らせますようにと心から願っている次第です。
 さてこの期間中における児童生徒の校外生活指導については、各学校からの注意事項にもとづいてどのお宅でも、十分御留意のことと存じますが、次に記す事項については格別の御協力をお願いいたします。

◇日没以後の外出は禁止
但し学習に通う者は然るべき証明書を所持のこと。
◇祭典に限り夜間外出は9時
但し必ず父母又は近隣者附添のこと。遠方の祭典へは、なるべく行かぬよう。
◇就学時刻は保健上9時
この時刻に消防本部のサイレンを30秒間ならします。
◇白、赤の三角旗
水難事故防止のため、田子浦海岸での可否を知らせる旗です。
白旗 水泳可のしるし。
赤旗 水泳不可のしるし。
田子浦中、小に掲げます。この旗をよく注意して見て下さい。
◇田子浦海岸の水泳場所
小須、新浜地区の指定位置(標識のある所のみ)
◇水泳要注意並びに禁止場所
A 前田新田地区海岸
B 新浜入道水門附近
C 三四軒屋地区(どんぶり河口)
D 富士川
(教育委員会)

事業消費資金に恩給担保の貸付

国民金融公庫で取扱い

国民金融公庫は中小企業者への事業資金の貸付のほか年金恩給等の受給者に対し恩給担保貸付業務を行っております。
◇仮受入の資格は年金として支給される恩給等を受け、その給与金をすでに一回以上受け取っている方で事業資金又は消費資金を必要とされる方であります。
◇貸付の限度は恩給等実支給額(手取額)の2年半分以内、ただし1人につき事業資金の場合は20万円以内、消費資金は10万円以内となっております。
◇貸付利率は年6分(月利5厘、日歩1銭6厘)
◇返済方法は担保にお預かりした恩給等の支給金をもってあてます。
◇保証人は1名以上。
くわしいことは沼津市八幡町95産業会館内の国民金融公庫沼津支所にご連絡ください。

消防団第二分団
鉄筋詰所が完成

かねてより地元消防団の宿願でありました富士市消防団第二分団の車庫および詰所がこのほど立派に完成しました。
この車庫及び詰所は総建・リ95.44平方メートルの鉄筋コンクリート2階建で市立中央病院北側の新国道筋に建てられ工事費は約90万円。

‐ 写真あり ‐
(写真説明)・・・立派に出来上がった鉄筋コンクリート2階建の第二分団の詰所

公益質屋の窓口から

市の公益質屋も昭和28年6月に開設してから満7年になり此の間1,752世帯の人々が利用され、年々300万円以上の金が貸出されておりますが、最近市勢の発展に伴い、新たに転入された方で公益質屋のあることを知らずに他で高利の金を使っておられる人があるやに聞いておりますので折角市で市民の為の福利厚生施設として低利簡便に融通する機関があるのですからこれを利用されるよう改めて其の概要をお知らせ致します。

一、場所は水戸島399、駅南加島踏切の真ぐ西側
一、衣類、質物は身廻品、国債、装身具等ですが、自転車その他保管に困る物及び銃器刀剣の類、骨董品などは預かりません。
一、貸付金は1口2,000円、一世帯8,000円が限度です。
一、利子は月3分ですが、16日未満は1分5厘とし、なお遺族国債、引揚者給付金国債に限り月1分5厘です。
一、流質期限は4ヶ月。
一、取扱時間は毎日午前8時から午後4時まで、土曜日は午前中祝祭日日曜は休みます。
大体以上の通りですが最初の時に限り市内居住者であることの確認出来る書類(配給通帳、国民健康保険証、その他身分証明書等)と認印をお忘れなく御持参下さい。

8月常設試験場

運転免許の試験を受ける人たちにお知らせします。
8月中における試験日および試験場は次の通りです。

‐ 図表あり ‐
(図表説明)・・・運転免許試験の日程表

伝説
日朗の米とぎ井戸
(公民館だより)

○当市の岩本に日蓮宗の本山で、実相寺と云う名刹のあることは、どなたも御承知のことでしょう。この寺は、元真言宗の勅願寺で人皇74代鳥羽法皇により、800年程の昔に建立された霊岳で、当時境内方一里に、49院500の僧坊がむね瓦を並べ、ここに数百に余る学僧が仏教の研鑽に余念がなかった巨刹であったのであります。
○後年日蓮上人が鎌倉時代頻々として起こった天変地異、飢饉、疫病、または内乱等の困難に際し、その由って来る所をただし、北条幕府を諌暁せんものと、ここ実相寺を訪れ一切経蔵に入って、7,000余巻の経典を閲し、かの有名な立正安国論を脱稿し、時の執権北条時頼にこれを献じ、蒙古来週の外寇をも予言したのであります。
○これがかえって禍する所となり、上人は伊豆に流され、やがては竜口において斬首の刑に処せられんとし、これに失敗した幕府は、今度は上人を北海寒山佐渡ケ島に配流することになったのであります。然しながら、そうしたことが起因となって、後年実相寺は一山を挙げて法華経に帰依することになり、やがて日蓮宗に改ったのであります。
○この実相寺の山の中腹に日朗の「米とぎの井戸」と称する小さな浅い井戸のあることを皆さんはあんまり御存知ないようです。
 この井戸に残る、美しい師弟愛にからまる伝説について、お話いたしましょう。
○日蓮上人の高弟の中に、日朗と云う方があった。この人は至孝第一と讃えられた程で、常に影の形に添う如く、日蓮上人に随時しておられた方で、上人が実相寺においでの時も、見えかくれた上人の後を、お慕い申上げこの地に来られたのでありました。
○その当初真言宗に貴族していた実相寺であってみれば、真言亡国を叫ばれる日蓮上人に対し、いい感情を抱いていなかったことも、自然の事であったでしょうし、一山の衆僧が上人に対し、憎悪の眼を注ぎ、折あらば迫害さえ加えんとする気配のあった事も想像されます。
○そうした険悪な空気を、察知した日朗は、いたく上人の身を案じわが身の危険をも忘れて、上人の御身を一心にお譲りすると共に、朝夕ひそかに山の中腹流れる、小さな谷川に降り立ち、自ら米をとぎ粥を炊いて、人目を忍びつつこれを上人ひ献じ給仕されたのであります。
○この間における日朗の苦心は真に想像に絶するものがあり、仏天も日朗の至孝に感応しましたのでしょう。日朗が米をとがれたと云う谷川は、今はただ“小さな浅い井戸”と、なって僅かにその跡をとどめていますが、不思議にも、この井戸水は白色を呈し恰も米のとぎ汁のような水をたたえています。
○後人、日朗の至孝を讃えて、これを「米とぎ井戸」と名づけて、その徳を慕い偲んでいます。

お知らせ

住民登録は至急現住所へ
国民年金が始まると世帯主は世帯員の保険料納付義務を連帯して負わされます。
住所異動の際は必ず住民登録をして下さい。

市立富士中央病院
診療科目 内科・外科・小児科・産婦人科・眼科・皮膚科・耳鼻咽喉科・放射線科
院長 多々良寿雄
富士市本市場
電385・386・808

火災を発見した時は すぐ電話で「火事」と
火災を発見した方は、逸早く電話で「火事」と呼んで下さい。電話局では「火災通報電話」ですぐ消防団本部につないでくれます
富士市消防団本部 電話1380番

‐ イラストあり ‐
(イラスト説明)・・・ものしり一家