市教委では12月1、2日の2日間、岩松公民館を会場として、市内中、小学校生徒児童の理科研究発表会を催しました。これは富士市としては第二回目のものです。中学生や小学生が先生の指導で、第一回発表のあと、今日の発表会を目あてとして、観察したり、実験したり、製作したり、観測したりしてきた体験を仲間の生徒や児童の前で発表したものです。一発表数分から、長い発表になると30分を越えるものもありました。
どれもこれも、めいめいが長い間苦心してまとめたものだけあって実感がこもっていて、聴衆であるセイトに深い感銘を与えました。科学的には欧米に比して、大分おくれをとっていると言われる日本の教育に於いて科学する眼や態度をコドモ時代に養うことの重要さは喋々するまでもありません。
たとえ、その発表が幼稚らしく見えても、その研究意欲の芽は、将来どんなに見事な花を咲かせ、立派な果実をみのらせるものであるかも知れないのです。だから常に暖かい思いやりと、やさしい励ましを与えることを忘れてはならないと思うものです。
この種の発表会は、まことに地味で、面白さというものは、ありませんが、お父さん方やお母さん方が御来聴下さるようになれば、コドモ達への大きな励ましになることですし、お子様方の教育上の参考になる点も多いことと思われます。最初から終わりまで、とおして聞かなくても、都合のつく時間に一、二の発表をおきき下さっても結構です。来年の会場予定は旧富士町内です。(教委会指導課)
いよいよ第一回目の国民年金の証書が交付されて来ます。内容は
老齢福祉年金 337件
障害福祉年金 3件
母子福祉年金 37件
です。これは第一回目ですから県に請求してある人は次々に通知があると思います。現在までに県に提出した人は次の数です。
老齢福祉年金 725件
障害福祉年金 45件
母子福祉年金 69件
他に市役所へくるように通知をしたが、まだこない人があります。本人の申告がなければ受給出来なくなりますから御注意下さい。
現在までは明治22年11月1日以前に生まれた人だけ・取扱いましたが、これからはそれ以後昭和25年3月迄生まれの人の分を来年1月頃請求することになっています。この人達には又あとで通知しますから必ず来所するようにして下さい。
国民健康保険と柔道整復師との間に施術協定が結ばれました。
いままでは保険者と柔道整復師とは個々に協定を結んでいましたがこんど静岡県東部(富士川以東)の柔道整復師と国保団体連合会との間に昭和34年12月15日を以て協定が成立し昭和35年1月1日より実施します。これからは富士市国保の被保険者も東部の柔道整復師のどこへいっても施術をやってもらえます。方法は施術を受ける際に被保険者証と共に印鑑を必ず持参して下さい。
昭和34年度の公明選挙常時啓発話合い活動は去る11月10日田子浦小学校講堂を皮切りに同月24日まで毎夜7時から田子浦地区の12会場でそれぞれ行いましたが、参集者は一会場50名から60名で成績はまずまずといったところでした。
富士市選挙管理委員会ならびに同市公明選挙推進協議会は今回はとくに田子浦地区一本で話合いを実施してみました。
この公明選挙の話合いは毎回のことながらなんとか参集者を数多く集めるのに頭を痛めますが、今回も映画を上映したあと助言者を中心に「どうしたら正しい選挙ができるか」について話合い活動を実施、各会場とも活発な意見の交換がありました。
通産省では毎年12月31日現在で工業統計調査を実施します。この調査はみなさんすでに何回となくやっておりますので、おわかりのことと思いますが、調査の対象は製造工業についてのみ(1)会社名(2)従業者数(3)現金給与総額(4)原材料および電力使用額(5)有形固定資産(6)主要原材料名(7)在庫額(8)製造品の出荷額等を詳細に調べ、この調査によってわが国の製造工業に対する現在の経済活動の実態や今後の進むべき方法などの重要な資料とするもので、いわば製造工業についての国勢調査であります。そこで富士市は1月中旬から2
社会を明るくする運動は一日の休みもなく続けられております。本年4月以降次の人々より社会福祉事業費としてご寄附がありました。このお金は最も有意義に活用させていただきます。厚くお礼申し上げます。
金700円也 渡辺 隆
1,410円 四条 勉
5,000円 外山研次
1万円 遠藤時夫
200円 富士見高校生
1万円 富士市医師会
5万円 小林 忠
500円 望月安一
2,716円 飯田伝一
5,000円 中部相互銀行
200円 女子高校生
1,000円 8人高校生
5,000円 田村せつ
100円 女子高校生
770円 伊藤歯科医師
2万4,000円 故鈴木準平
6,600円 富士市民生委員
7,700円 芝田幸太郎
1万円 常盤太郎
1,000円 佐藤ゆき
2万5,000円 吉原ロータリークラブ
5,000円 沼津ロータリークラブ
中部相互銀行吉原支店富士出張所(加島町)を今般富士市支金庫に指定しまして昭和35年1月1日から市の税金その他の納入にご利用下さい。
大昔のことギリシャのテーベの海岸にスフィンクスという怪物がいた。身体は獅子、顔は少女、左右に翼をもった一疋の怪物が海岸を通る人たちに向かって「朝には4足昼には2足、晩には3足になるものは何か?」と、いう不思議な質問を試みた。
当時ギリシャの人々は、誰もこの奇妙な謎を解くものはなかった。しかし、とうとうそれは哲人オデイプスによって、巧みにも解かれたのであった。「人間」それがスフィンクスの謎の正体であったということであります。
俳人也有が「ばけものの正体見たり枯尾花」と云った如く、世にばけものの正体というものは案外に平凡なつまらないものらしい。朝は4足、昼は2足、晩は3足というと、いかにも恐ろしい怪物のようにも考えられるが、その正体を見届ければなんでもない「人間」のことであった。
言うまでもなく朝は嬰児の時代(手足の4本で歩く)昼は青年の時代(2本の足で大地をふんまへて歩く)晩は老年の時代(歩行不自由の為杖を用いて3本足となる)を意味するので、それこそ、わかってみれば、なるほどつまらない事です。
しかし、よくこの問題を考えてみると、そこには、なかなか意味がある。古の哲人が「世の中には不思議なものは多いが、人間ほど不思議なものはない」といっているが、見ようによってお互い人間は世にも恐ろしい一種の怪物ではあるまいか。
人間を「地上の化物」というと、いかにも奇をてらう事のように思えますが、しかし、よく注意して考えてみると、人間は世にも恐ろしいおばけとも言えるでしょう。従って人間の社会というものは、つまり多くのおばけの集っている「おばけの社会」と、いうことにもなります。極端な言葉かも知れない。だが、いったい人間はたがいに化かしたり化かされたりして暮らしているのではないか。おたがいに化物の世界にすみつつ、たがいにいろんな化物となって、ばかし合っているものではなかろうか。人間は誰しも、生命を維持するために、口に食物をとり、身に
いろんな艱難の峠を、いくつも、いくつも越えて、やっと理想の峰によじ登って見ても「来てみればさほどでもなし富士の山」で、更に新たな希望の峯や、理想の山も目にちらつき出す。所詮、理想や希望はどこまで行っても限りがない。とかくする間にかんじんの寿命がなくなる。長寿の秘法を求めたところで、なんの甲斐もないことで、それは丁度弱い角力とりが満身の汗を搾って支えていながらヂリヂリと土俵の外へ押し出されるように一歩一歩死の暗い世界に引きづられて行くのではないか。目出たく学校を卒業する。妻を迎える。子供が生まれる。次第に地
びん髪すでに白うして日西山に傾いた時、おもむろに過ぎ来し方をふり返り、行方を思い見れば、まこと往事茫々夢の如き感があるに相違ないでしょう。結局、自分のやったことは何か、自分は果たして何を地上に印した事だろう。所詮は全く一巻の白紙の巻物に過ぎないであろう。
人の一生は、まことに「水に描ける絵、砂に刻める文字」と言う愚かでありましょう。
それにも拘らず、人間は知ってか識らずしてか、ひたすら「生きたい」と思うばかりに、平気で化かしたり化かされたりしている。金を持つものは金で化かし、筆を持つものは筆で化かし、名のあるものは名で化かし、力のあるものは力で化かし容色の勝れたものは、その容色で化かす。よし自分は化かすと意識しないまでも、知らず識らず人を化かしている。いや、人も亦、その金にその力、その名に、その容色に化かされ惑わされている。
わが心、鏡に写すものあらば、さぞや姿に見にくからまし、と古人もいっているが、全くさぞや人間の化けたその姿はみにくいものにちがいありません。
‐ 写真あり ‐
民生委員(順位不同)
柳島 秋山てる
新浜 時田栄作
下横割北 佐野好夫
前田 船山まつの
鮫島 加藤ふで
川原宿 加藤伊作
水戸島下 三浦てる
森島 八木安一
中町 塩沢松枝
本市場 石川金十
塔ノ木 植松 清
水戸島中 岩辺武男
中島上 佐藤恵温
柚木 渡辺三三
平垣 田沢とき
上中 中島徳重
四ツ谷 海野良雄
新町 平野その
東宮島 井上志こ
中丸 外山義一
国久 金指 花
水戸島上 渡辺千秋
十兵衛 後藤孝一
上横割 時田 忠
前田新田 牧野 栄
三四軒屋 斉藤和一
上五貫島 村松長吉
下横割 高橋雄一
四丁河原 志田万平
旭町 影山市松
滝戸 後藤幸次郎
中島中 佐野直彦
本町 三枝喜三郎
裏町 飯山かつ枝