広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和32年 7月25日発行 内容

法律改正による 農業委員決る

先月号でお報せした通り去る7月16日には法律改正による農業委員会委員の選挙が行われ、これにより新しく選挙による委員15名及び選任による委員4名がきまり、この人達により7月20日から施行される法律に基き新しい富士市農業委員会が運営されることになりました。

◎選挙による委員
 選挙による富士市農業委員会委員の定数は15名と従来と変わりはありません。この選挙は7月6日選挙告示され7月16日行われましたが、定数15名のところ7月11日立候補締切日までに届出のあった候補者数15名でしたので、選挙における委員の定数を超えないため無投票となりました。
 7月16日午前9時より市役所議事堂において、選挙会を開き5人の選挙立会人の立会の上で候補者の被選挙権の有無等について、選挙長は選挙立会人の意見をきき、15名の候補者を当選人と決定した。
 翌17日には選挙管理印界委員長より当選者15名に当選証書を附与しました。当選者の住所氏名は次のとおりです。

(立候補届出の順序による)
鮫島 村瀬利三九
柳島 村瀬 隆三
水戸島上 大芝 広
滝戸 佐野 勝雄
瀬戸河原 佐野 順作
水神 望月 喜作
南本田 植松 清
上中 望月 初男
中島 小林 多作
森島 服部 与作
中丸 米山 寛造
本市場 川口 恒松
三四軒屋 井上 喜
上五貫島 斎藤 淳作
浦町 石田安太郎

◎選任による委員
法律の一部改正前においても選挙による委員の外、農業協同組合又は農業共済組合から推選された理事と、市町村の議会から推薦された学識経験者の中から市町村長が選任した者5人以内に限られておりましたが、今回の改正ではこれらの団体の推選した理事各1名及び市町村議会の推薦した学識経験者5人以内において委員に選任することになりさきに開会された富士市議会において学識経験者1名が推選されました。
農業協同組合及び議会推選により市長の選任した委員は次のとおりです。
富士農協理事 三浦 三郎
田子浦農協理事 大村瑛一郎
岩松農協理事 常盤 鉄三
富士市松本 遠藤 脩治
 以上選挙による委員15名及び市長の選任した委員4名計19名により富士市農協委員会が構成され、7月20日から運営されることになります。

◎農業委員会の仕事が拡大された
従来、農業委員会がやっていた仕事の他に、新たに次のような仕事もやるようになり仕事の範囲が大幅に拡大されました。
○農業や農村に関する振興計画をたてたり、その計画をおし進めること。
○農業技術の改良、農作物の病虫害の防除その他農業生産物の増進、農業経営の合理化及び農民生活の改善につとめること。
○農業生産や農業経営及び農民生活について調査したり研究したりすること。
○農業及び農民に関することについて啓蒙宣伝すること。
◎農業委員会招集される
 新委員による初の富士市農業委員会は7月20日午前9時市役所議事堂に招集され、初議会が行われ、会長、副会長の互選及び県農業会議員の指名等が行われました。
会長には 遠藤 脩治
副会長 三浦 三郎
県農業会議員には
常盤 鉄三 の三氏がそれぞれ指名推薦により当選し、就任しました。

民生委員制度40周年を記念して 笠井翁の偉業を賛える

先月号で一寸記しておきましたが今年は民生委員制度が制定されてから丁度40周年に当たります。そこで色々記念行事が行われますが、今日はこの民生委員制度を創始した私達が誇る郷土の先覚者故笠井翁の偉業を皆さんと共に昂揚し、翁の偉業を追憶する意味で翁について少し記してみたいと思います。
翁は居を秤心居、号を何有といい元治元年6月を以て駿河国富士郡加島村蓼原即ち今の富士市蓼原に呱々の声を挙げました。
父を勘三郎といい翁は実にその三男であります。
翁幼にして穎悟聡明少壮東京帝国大学英法科を卒業し直に内務属となり警務局出仕を命ぜられ以来地方官として各地に勤務して治績あり明治40年1月11日岩手県知事に抜擢せられました。時に年43であります。
居ること7年各般の施設概ねその緒に就いた大正2年3月高等官一等一級棒の殊遇を得て静岡県知事を拝命するにいたり実に錦衣を故山に飾ったのであります拮据経営一年有余大正3年6月には岡山県知事の任を帯びて赴任させられました。大正5年18日地方長官会議の際宮中に於て県下貧民の状態に付御下問を拝し帰任して調査したところ其の員数の意外に多きこと、その生活状態の頗る悲惨なことに驚愕すると共に又大いに責任の軽からざるを痛感し以後その対策を得んと欲し日夜研究熟慮遂に案出せられたのが済世顧問制度であります。
かくて県下に済世顧問を委嘱し県民の救貧とあわせ行うに防貧を以てし着々実績をあげ漸く全国的に普及せられた方面事業の先駆をなしたのであります。即ち昭和14年には方面委員令として法制化せられ全国に実施されて、昭和21年には之を発展的に解消して民生委員令が之に代り遂に民生委員法にまで強化拡充されるにいたりました。
然るに惜むらくは天長く翁に寿を借さず昭和4年7月25日病んで東京市小石川区の自邸に於て逝去せられました。享年60有5才でありました。
翁常に曰く「済世の心は須らく花を養う天の如くなるべし」とその死に臨んでも尚切々として済世の事業を以て念とし枕頭に病を訪う客に対し斯業の将来を委嘱すること頗る切なるものがあったと伝聞するに誠に感激に堪えません。

‐ 写真あり ‐
( 写真説明上)・・・上の写真は旧市役所(本市場)隣にある故笠井翁の頌徳碑
( 写真説明下)・・・下は同頌徳碑の裏に刻まれた済世(世の人を救い助けること)の文字。

公平委員決る

 富士市公平委員会委員は1名欠員、1名任期満了のため、さる6月28日行われた第5回市議会に於て議会の同意が得られ後任者に次の人が決まりました。

◎補欠委員
蓼原 田川 完吾

◎任期満了による後任委員
川成島 吉村 恭吾
 引続き18日には市応接室で委員初顔合せが開かれ委員長に井上彦松氏が選任されました。

◎公平委員氏名一覧表
委員 新町 井上 彦松
同  川成島 吉村 恭吾
補充委員 蓼原 田川 完吾

◎公平委員とは
 この公平委員の主な任務は市役所職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する措置の要求を審査し、判定し、及び必要な措置を執ること又、職員に対する不利益な処分を審査し、及び必要な措置を執ること等市役所の人事行政の円滑な運営を勧告することを目的としています。

サイレン吹鳴 夜間外出9時まで

 いよいよ本格的に夏らしくなって参りました。これからはキャンプに或はハイキングに海水浴にと若い人達は張り切り、花火や盆踊りに浮かれることでしょう。そこで田子浦小、中PTAでは大昭和富士工場のサイレンを8月中毎晩午後9時を期して吹鳴し、青少年の夜間外出を禁じ補導することになりました。
 夏にはそれでなくてもいろいろ犯罪が発生しやすい時期ですから青少年はこのサイレンが吹鳴したら夜間外出をしない様、特に家庭では注意しましょう。又このサイレンは火災サイレンとも間違えやすいですからこれにも気を付けて下さい。

大工(建築)業者の業務実歴調査

 本年5月20日公布された建築士法の一部改正に伴う同法附則第二項に基く選考考査の基準については近く建設大臣より告示されると思われますが選考考査の参考とするために今土木課ではこの調査を行っております。
 調査の対照は実務の経験年数10年以上の者で年令は満年令を記載し経験年数は満17才をこえる実歴10年以上の年数を必要とする者であります。その他詳細は土木課でお問合せの上7月中にこの実歴調書を提出して下さい。(土木課)

議会の動き

 第5回富士市議会6月定例会は6月29日招集され、会期を同日1日間とし市長提出議案19件、議長提出議案1件計20件を即決して閉会となりました。
 会議の概要は次の通りであります。
 市長専決処分報告4件を承認し次いで「富士市農業委員会選任委員推薦について」は今回農業委員会委員の選挙が行われるのでありますが、これと共に議会に於いて推薦したものを市長が委員に選任することになっているもので議会は遠藤脩治氏を推薦しました。
 また現在工事施工中の体育館は社団法人富士市体育会館を設立したのでありますが社団法人と市との間に建設資金借入並びに土地貸与について契約を締結する決議を致しました。
 水道事業関係については岩松水源の増設ポンプ工事と2号井送ポンプ工事(水中モーターポンプ)は荏原実業株式会社が金3,832,000円を以て、これに関連する電気工事は1,580,000円を以て日本電設工業株式会社がそれぞれ請負することとなりました。
 各種委員会委員の選任につき議会の同意を求められましたので左記の通りそれぞれ同意を与えました。
 1、公平委員 補欠委員 田川完吾
   任期満了による後任委員 吉村恭吾
 2、固定資産評価審査委員会委員 野中俊雄
 以上の各氏であります。