広報ふじ 昭和41年11月に吉原市と鷹岡町と合併した富士市広報紙の全記録

昭和30年 6月25日発行 内容

議会事務局からお知らせ

 本市議会常任委員会は総選挙によって多数の新議員を迎え、且つ全面的に担任部門も変更を見ましたので、之を機会に将来行政運営に更に一層の努力を致す事を期し、各委員会別にそれぞれ先進都市の視察を致しました。百聞は一見にしかずとか、誠に得る所が多かった事と存じます。今各委員長から視察報告が提出されましたので順次掲載いたします。
(議会事務局)

特集 議会常任委員会行政視察報告

◆水道委員会
視察月日 3月7、8日
委員 井出、山仲、志村、漆畑
課長 西尾
視察地 岐阜市
◎視察概要
岐阜市上水道事業
沿革
 岐阜市は清流長良川河畔に発達した都邑で、古来地下水は豊富旦佳良であった為、大正初期迄は水道について論識された事もなかったが、年と共に戸口稠密となるに従い各戸井水も汚染の度を加え且推量も減少するに至った。大正10年識者の間に水道の必要が唱導せらると共に声日を追うって強くなり、水道創設の機運漸く熟し来るに至った。
 市当局は市民の要望に応じ大正12年以来専門学者の意見を徴し或は先進都市の視察を行い慎重調査研究の結果、長良川河畔に浅井を設け伏流水を水源として、直間接式排水法とし全市に至る水道計画を樹立して、先ず水質不良の南部に対する第一期工事を実施し、次いで北部の第二期工事に着手した。
 その後市勢進運するに伴い市域も亦逐年拡張せられ、昭和7年より昭和15年に至る間に於て、長良、島、三里、鷲山、加納、則武木田を合併したので、之等合併町村の内戸口稠密にして水質不良な地区に対する水道布設を逐次計画、第三期工事として加納地区を引き続き第四期工事として長良及鷲山地区の給水工事を実施した。

◎第一期工事
 水質不良で飲料水に不便多い市の南半部に対し給水量一人一日111リットル、人口55,000人を対象として計画し、昭和2年3月市会の議決を、次いで同年10月主務者の許可を得て、工費費82万円を以って着手昭和4年12月通水を開始し昭和9年3月その工を竣つた。

◎第二期工事
 第一期工事の成績を実現した市の北半部の住民の要望に応じ昭和5年3月市会の議決を経て給水人口70,000人の拡張を計画し、66万円を以って工事を続行昭和10年3月旧市全域に亘る水道施設を完成した。

◎第三期工事
 加納地区の戦前復興の急速な進捗に応じ昭和24年5月市会の議決を経て給水人口23,000人の拡張を計画し、昭和24年5月増補改良事業の補助認可を得て同年9月一部着工後正式第三期工事として昭和35年4月総工費3,500万円を以って本格的工事を進め昭和27年3月その工を竣つた。

◎第四期工事
 観光の枢要地長良及戦後集団住宅地区として急速に発展した鷲山に対し拡張を計画し、昭和25年3月市会議決を昭和26年7月主務者の認可を得て二ヶ年継続事業として、工事費114,000千円を以って昭和27年3月に着工した。計画給水人口25,000人一人一日最大給水量250リットルとし、水源地は長良川右岸に求め浅井を以って伏流水を取水し、雄総山上排水池に揚水後自然流下により配水する計画を以って目下施行中である。

現況 
 当初計画は一人平均111立、最大166,5リットル、計画給水人口125,000人と計画されたが、近年文化の進展衛生思想の発達に伴って私用推量は甚だしく増加して来たので、一人一日給水量平均は170リットル、最大250リットルとし、給水人口旧市内および加納100,000人長良及び鷲山地区25,000人計125,000人と修正した。
 第四期工事は目下施行中であるが、自第一期至第三期工事施行済地区に於ける水道使用普及率は焼く86パーセントに達し年間水道使用料は67,000,000円であって毎年7,000,000円剰余余り出している。

所見
 本水道水源地が市街に接続し、且つ豊富なる水源に恵まれているが、給水地の施設なくポンプ直送式であるため発電施設を余儀なくされていることは、送水費の増加を来たし経営上不利あるのは免れない。
 水源地は又公園に接続し殆ど一帯化しており、各施設も之にマッチし美観を呈していることは計画の参考に資する処多し。
 第四期工事たる長良川右岸水源地に於ける敷地又600坪位あり、ポンプ室、発電室其他洋風近代建築にして、構内に噴水植樹をなし美化しあること亦参考となった。
 量水器修理工場を有することも将来の参考となった。
 自第一期至第三期工事に至る建設費は物価指数の相違しおるも第四期工事費が114,000,000円は人口一人当建設費が28,500円に当ることは、富士市綜合水道が30,000円程度を要するもの立地条件に於て才あるを以って止むを得ざるものにあらざるか。



◆農業委員会
視察月日 3月22日・23日
委員 時田、三浦、八木、飯塚
課長 高沢
視察地 愛知県安城市、知多郡河和町、同横須賀町、渥美郡伊良湖岬村

◎視察概要
 安城市調査
別紙調査書の通り田園都市で水田を主体とした地区に明治用水の開通と共に商工業が発達した。即ち日本デンマークといわれる都市だけに、農業経営者は米、麦、蔬葉に乳牛、鶏を取り入れた有畜農業地帯である。
 市行政としては常任委員会は7委員会として、一委員会8名、課は13課より、助役1名、職員総数は1,408名である。
 予算については別冊の通りであるが産業経費の内訳は次の通りである。

産業経済費   9,855,030円
1 農道費    1,500,000円(土木課)農道設置工事費
2 土地改良費  1,071,100円(土木課)土地改良区の助成金
3 農業委員会費 1,474,570円(農務課)の農務課職員兼務
4 農業改良振興料 3,989,400円(農務課)
○農業改良振興費の内訳
 1主要食糧増産奨励費 1,294,250円
 2円芸振興費   185,900円
 3畜産振興費  1,006,800円
 4農業改良費   838,400円
 5供米対策費   59,700円
 6諸費      604,350円

○諸費の内訳
 1農業協同組合補助 42,000円
 2養蚕組合補助   10,000円
 3食糧事務所補助  15,000円
 4共済組合補助  100,000円
 5農業振興事業補助 349,600円
 6原種穂補助     5,600円
5 商工観光費      1,799,450円
 農林行政については、農業委員会は富士市同様農務課内に事務所を置いて行い、普及員も農務課にいるのは連絡上良いと思う。共出割当関係は市は部落割当しこ人割当は部落で行う点が異なっているが、事務的に市当局で個人割当を行うべきであると思う。
 土地改良事業は農業土木として、土木課に於て行っている点は当市と異つている。尚土地改良区は市とは別に市役所内に事務所を置き各土地改良区が一事務所にいる点は今後当市に於いてもこの点研究すべき点と思われた。
 土地改良区の助成は計画設計調査費のみで受益者負担による方法で行っている。

●知多郡河和町晩生夏播甘藍調査
 知床半島の先端の町で水田は湿田が多く蔬葉は台地畑栽培が主で、富士市の夏播甘藍は水田裏作による3月出しを目標に栽培されているのに対し今までは渥見郡の甘藍が2月に大部分終了するので3月出荷は富士甘藍が有望であるのに着眼し、河和町の晩生甘藍は愛知大晩生から改良されたと言われているが、系質からみてオレゴンとの一代雑種の様で7月下旬播9月中旬定植、3月から4月上旬出荷を目標としているので、これが栽培の増加は市場で希望している形質(小型で完全結球)であるので、富士の3月出荷に相当影響あるので今後研究してこれに対抗出  本年の栽培は30町歩30万貫位であるが、明年度は100万貫に増反すると町は振興計画を樹立している。

●知多郡横須賀町の湿田地裏作玉葱栽培調査
 知多郡青果連合会の太田川支所で状況調査を行いたるに、青果連の主なる取扱品目は玉葱を第一として、大根、馬鈴薯、甘藍、フキ、インゲン、白菜等で売上げ金額訳三億円であって、市場の割もどしの二分で運営しているので富士の青果連と同様である。玉葱は畑地に早生(愛知白)を栽培し、中生晩生種を水田(湿田)の裏作として、四尺植床、二尺通路として、四尺床を三本鍬で大きく反転起しにして通路の土を其の上に上げてその土のみを砕土し、二尺五寸横畦に二条植になっている。通路には湿田のためたえず水がある状態で気候と土質にめぐまれている
●渥美郡伊良湖岬村 県立暖地円芸試験場調査
 渥美郡一帯は暖地のため、夏播甘藍、絹莢豌豆、早生玉葱をはじめ花卉類の特産地にして、戦後急速に発展し特に花卉類は暖地のため無加湿の温室円芸が発達して、昭和26年に群立で現在地に暖地円芸試験地を、農業改良普及員が中心となって設置されたのである。それが県の認めるところとなり、昭和27年には早くも県立移管となり現在試験場となったもので、地元は土地と事務所を無償提供して発足した。
 技術者3名が駐在して運営費のみで29年度6万円である。
 この内雇人費50万を支出して年中雇人(常雇を含む)を入れて運営し、試験場の生産物見込収入を39万円あるので正味県費は117万円であるので、富士市の農業試験地今後の研究と運営方法如何によっては、有利な運営も出来一年も早く県立移管に推進して行く事が必要である。



◆衛生委員会
視察月日  3月31日、4月1日
委員    長谷川、田辺、斉藤、羽切
課長    滝川
視察地   伊豆逓信病院、長岡町立病院

◎視察概要
●伊豆逓信病院
創設
 本病院は昭和19年東京第一陸軍病院として設立されたものであるが、その後日本医療財団大藤省に移管され、更に昭和22年7月1日に東京逓信局に買収され現在に至ったものである。
 創設当初は戦時中のことであったから粗末な建物であったがその後克改修した点は視察事項中重視すべき点であった。

機構 
慎重部門は眼科を除いて各科を整備してある。他に看護婦養成所があり年々20名前後の看護婦が養成されている(養成期間2ヶ年)
人員配置
医師25、薬剤師7、看護婦100、技術員18、診療雑務20、栄養師調理士4、炊事洗濯手16、消毒手4、事務員54、運転手4、工手其の他14、看護婦養成所職員5、 総271人
敷地建物病床数
敷地   45,724坪10
建物延  5,818坪92
木造   5,471坪37
鉄混    347坪55
病床数   95室425床
経理状況
年間予算は需用費人件費等のみで1億円以上で、私設関係費用も相当多額となるものの様であるがすべて電々公社から支出されている。
尚診療報酬は一点単価金5円でほかの病院と比較対照することが出来ない。
総括的事項
病院内の器具材共に理想に近い状態まで整備されている点は敬服すべきである。放射線科は撮影装置2、特殊撮影装置1、断層撮影装置1、歯科撮影装置1、透視装置13、携帯撮影機1が設備され、又臨床検査科の整備人員の充足されていることと共に科学的診断とその処置が合理的に行われている事を物語っている。
尚健康管理科があってアフターケアーについては充分の処置が講じられている点も見逃せない点であった。

●町立伊豆長岡病院
創設
昭和25年12月17日 
該療科目
内科、小児科、外科、産婦人科、肛門科、性病科、理学診療科がある。
職員数
医師6、薬剤師2、X線技師1、看護婦19、運転手2、事務員8、其の他7  計45人
敷地建物床数
敷地1,208坪47、建物757坪51(医師、職員住宅119坪含む)病床95床
経理状況
 予算経理により一般経営常費は病院の収入により支弁し新設工事費については町一般会計からの繰入金を以ってする。
總括的事項
敷地が狭いため建物の配置には相当無理が感じられるが、小規模ながらにもよく整備されている。
職員は夫々温情を以って患者に接している点が見受けられる。
町で国民健康保険を実施しているので町内患者の利用度は高い。