【広報ふじ令和元年】富士市名誉市民を紹介します
富士市名誉市民を紹介します
富士市は現在5人に名誉市民の称号をお贈りしています。11月にはこの方々を紹介する常設パネルをロゼシアターに設置します。
-写真あり-
(写真説明)名誉市民章
(写真説明)ロゼシアター外観
◆名誉市民とは
富士市民または富士市に関係の深い人で、産業・学術・技芸などにより、市勢の興隆と社会文化の進展に貢献し、もしくは富士市の功労者として、その事績が特にすぐれ、住民の尊敬の的と仰がれる人に富士市名誉市民の称号をお贈りしています。
現在、名誉市民は昭和41年の合併前の吉原市の3人、合併以降の2人、計5人です。
◆富士市名誉市民を紹介するパネルを設置
富士市名誉市民の事績を、多くの市民の皆さんに知ってもらえるよう、ロゼシアターに常設パネルを設置し、市制記念日の11月1日に除幕式を行います。
名誉市民の功績を知ることは、富士市の歴史を知ることにもつながります。ロゼシアターを訪れた際は、ぜひごらんください。
◆除幕式
とき/11月1日(金曜日)9時15分〜
ところ/ロゼシアター2階通路
〈富士市名誉市民〉
●齊藤知一郎(さいとうちいちろう)氏
(製紙会社経営者)
明治23年3月生まれ。製紙会社の経営を通し、地元産業発展の基礎をつくりあげました。また、吉原商工会議所会頭として地域経済の伸展に寄与されるとともに、昭和幼稚園の園舎一式の寄贈及び吉原工業高校の敷地・設備の寄贈、さらに吉原市立体育館建設に貢献されるなど、地方教育の発展に尽力され、大きな功績を残されました。昭和36年2月に70歳(満年齢)で逝去されました。(昭和36年2月20日決定・吉原市)
-写真あり-
(写真説明)齊藤知一郎
●金子彦太郎(かねこひこたろう)氏
(第2〜5代吉原市長)
明治16年12月生まれ。静岡県議会議員や今泉村長などを経て、昭和17年衆議院議員に初当選し、国政に参画されました。昭和27年には吉原市長に就任し、市政の刷新を志しました。数々の町村合併を円滑に行い、吉原市の基礎を固めたほか、昭和放水路完成などの農地改良事業や治山治水事業にも多大な功績を残されました。昭和38年12月に享年81歳で逝去されました。
(昭和38年12月4日決定・吉原市)
-写真あり-
(写真説明)金子彦太郎
●渡井八郎治(わたいはちろうじ)氏
(呉服店経営者)
明治17年9月生まれ。今泉村議会議員や吉原町議会議員などの要職を務められました。この間、育英事業に専念し、今泉小学校の建設をはじめ、県立富士中学校(現・富士高校)の新設に多額の資財を提供し、教育の振興にも貢献されました。また、富士南部商工会議所副会頭や吉原商工会議所会頭にも就任し、地方商工業の発展に尽力されました。昭和50年5月に享年92歳で逝去されました。
(昭和41年3月22日決定・吉原市)
-写真あり-
(写真説明)渡井八郎治
●戸塚洋二(とつかようじ)氏
(物理学者)
昭和17年3月生まれ。ノーベル物理学賞に輝いた小柴昌俊氏や梶田隆章氏とともに、太陽系の外から飛来した超新星爆発によるニュートリノの観測に世界で初めて成功し、ニュートリノ天文学という新しい研究分野の誕生に貢献されました。こうした業績が評価され、紫綬褒章や文化勲章、ベンジャミンフランクリンメダルなど数々のすばらしい賞を受賞されました。平成20年7月に享年67歳で逝去されました。
(平成14年12月4日決定)
-写真あり-
(写真説明)戸塚洋二
●齊藤滋与史(さいとうしげよし)氏
(初代富士市長)
大正7年8月生まれ。昭和41年に将来の郷土発展を見据え、吉原市長として2市1町の合併を実現させ、新生富士市の初代市長に就任しました。人の和を基調とした地域の発展と、新しい都市の基盤づくりに尽力され、現在の富士市の礎を築かれました。建設大臣や静岡県知事としても卓越した政治手腕を発揮し、郷土発展のために尽力されました。平成30年8月に生滅同日をもって100歳(満年齢)で逝去されました。
(平成18年9月11日決定)
-写真あり-
(写真説明)齊藤滋与史
問い合わせ/秘書課 電話 55-2703 Eメール hisho@div.city.fuji.shizuoka.jp
添付ファイル
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