【広報ふじ平成28年】富士の災害史
【過去に学ぶ富士の災害史】
第8回 昭和の火災(抜粋)
「富士の災害史」は、過去に市域が見舞われた災害を皆さんに理解してもらい、防災意識を高めていただくため、平成25年3月に発行されました。広報ふじでは、定期的に抜粋して掲載しています。
昭和の火災(抜粋)
■昭和4年(1929年)12月1日 「岩淵の大火」
岩淵地区坂下の民家から出火し、強風にあおられて火が燃え広がりました。住民は家財道具を取り出す間もなく、着のみ着のままで逃げたといわれています。全焼65軒、あたり一面が焼け野原となりました。さらに、この8日後には下屋敷地区の17軒が全焼するなど大きな火事が続き、歴史ある町並みが焼失しました。
■昭和25年(1950年)3月11日 「桑崎の大火」
桑崎の大火では、死者1人、負傷者4人、全焼家屋30軒、納屋、倉庫、牛小屋などの建物も80棟が焼失しました。当時の建物の屋根は、わらぶきやカヤぶきだったため、火の粉が落ちただけでも引火してしまい、消火の手がつけられないほどでした。赤淵川の水をかけるなどして一時火災はおさまったかに見えましたが、翌日にまた火がくすぶりだし、二次火災が発生しました。桑崎の大火は3日間にわたり猛威を振るい、全てを灰にしてようやく鎮火し、地区の大半を焼失する火災となりました。
■昭和41年(1966年)9月25日 「原田地区工場火災」
原田地区の製紙会社の倉庫付近で出火。原因は台風26号の強風による高圧電線のショートでした。強風にあおられ、炎はたちまち燃え広がり、その後5時間ほどかかって鎮火しました。
- 写真あり -
(写真説明)現在の様子
(写真説明)岩淵の大火後の焼け跡(昭和4年)
こちら編集室
6月といえば梅雨の季節です。雨が長く続くと気分も重くなり、せっかくの休日も、ついつい家に閉じこもってしまいがちです。しかし、目線を変えると、この時期しか見ることができない風景もあるようです。市内の公園に咲く色とりどりのアジサイは、例年6〜7月ごろに見ごろを迎え、訪れる人を爽やかな気分にしてくれます。私もことしは重い腰を上げて、カメラを片手にアジサイが咲く市内の公園を訪れてみたいと思います。(K)
人口 256,070人(前月比−56)
男 126,559人(-18)
女 129,511人(-38)
世帯 102,823世帯(+189)5月1日現在
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