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【広報ふじ平成25年】富士市の災害の歴史(2)

台風・高潮

- 写真あり -
( 写真説明 )鈴川停車場(現在のJR吉原駅)の浸水

【田子浦の海嘯(かいしょう)(高潮)】

■田子浦村と元吉原村の被害
 海嘯とは、台風などの影響により満潮時に起こる高潮が河川をさかのぼる現象のことです。
 1899年10月、田子浦村や元吉原村鈴川沿岸一帯に台風の影響による海嘯が押し寄せ、大きな被害を受けました。当時の様子は、『富士郡田子浦村誌』や当時田子浦小学校長だった鈴木七四郎(しちしろう)が編さんした『田子浦海嘯始末』に詳細に記録されています。
 この海嘯により、田子浦村では北側の集落の交通が遮断され、西側の五貫島や三軒屋(さんけんや)では堤防が破壊され、東側では沼川や潤井川の河口から大波が入り込んできました。被害地域は、前田新田から四軒屋まで4キロメートルに及びました。新浜(しんばま)、前田新田などは一帯が砂原のようになって、家は壁が壊れたり傾いたりして、多くの犠牲者が出ました。
 また、元吉原村鈴川の砂山地区では、財界人などの別荘地が大きな被害を受けました。さらに、鈴川停車場や近くの旅館、運送店、飲食店なども浸水し、荷物などは塩水に侵されて大損害となりました(写真上)。

■海嘯碑の建立
 海嘯被災の惨状が新聞などで全国に報道されると、各方面からの義援金が集まりました。明治天皇、皇后両陛下、皇太子殿下からも被災地に見舞金が届きました。
 犠牲者の霊を弔うために吉原町の消防組が中心になり、1899年12月、鮫島の林正寺に海嘯碑が建立されました(写真左)。この碑には、海嘯による生々しい被害惨状が刻まれています。
- 写真あり -
( 写真説明 )海嘯碑

 古くから高潮・高波による被害を数多く受けてきた富士海岸は、現在高さ17メートルの堤防に守られています。

駿河郷土史研究会 渡邊誠さんが語る「吉原宿」災害との戦いの歴史

 私は、江戸時代初期から先祖代代元吉原地区に住んでいたことなどがきっかけで、10年以上前から吉原宿の研究をしています。

◆元吉原宿
 元吉原宿は、現在の田子の浦港の東側にあった「見附(みつけ)」の宿が、風波の被害を受けて東へ移転し、今井村と一緒になり、1601年に徳川家康から宿場の指定を受けました。しかし、元吉原地区は砂丘地帯のため、砂が家の中に始終舞い込み、1639年ごろには砂山が崩れて駅舎を埋めてしまいました。徳川幕府は宿場の移転を決め、元吉原宿の歴史は約40年で終わりました。
- 図表あり -
(図表説明)延宝の高潮による中吉原宿周辺の被害状況

◆中吉原宿
 依田橋村の外れから左富士神社を巡り、津田方面に向かって新しく中吉原宿がつくられました。しかし、『田子の古道(ふるみち)』によると、「1680年9月の延宝の高潮により、宿場の家並みは全滅し、多くの死者が出たものの、約150人が舟で悪王子(あくおうじ)の森(現在の左富士神社)に避難した」と記されています(左上図参照)。

◆新吉原宿
 中吉原宿も約40年で終わり、1682年に伝法・依田原(現在の吉原商店街)へ新吉原宿として移転しました。新吉原宿は、幕府から「吉原宿の人たちが望むところを探せ」という指示を受けて、延宝の高潮で流された住宅が止まったところ(現在の吉原宝町)を東境にしました。
 17年後、延宝の高潮より60〜90センチメートルも高い高潮に襲われ、新吉原宿も浸水しました。しかし、宿場を移転するほどの大きな被害はなかったので、新吉原宿の住民は胸をなでおろしたと言います。
 吉原宿は、風波や高潮の被害により移転を繰り返してきたのです。

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( 写真説明 )災害史の執筆に携わった駿河郷土史研究会 渡邊 誠さん(今井1)

水害、噴火

【水害、富士山の噴火】

■富士川の洪水
 富士川は日本三大急流の一つで、大雨のたびに洪水となり流路を変えてきました。流域に住む人は、常に暴れ川「富士川」の危険にさらされてきました。
 『宮下区誌』や宮下山神社「水難記念碑」によると、「1910年8月、大雨で宮下の堤防が決壊。
富士川からの濁流が宮下・森島・五貫島などを襲ったため、人家は流失し、田畑は荒地になった」と記されています(写真上参照)。
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( 写真説明 )富士郡加島村宮下水害家屋の一部

■宝永山出現『富嶽(ふがく)百景』(富士市立博物館蔵・写真左)
 宝永の噴火は、1707年11月に起こり、火山性地震の揺れと富士山頂の南東側からの激しい爆発が、16日間にわたり続きました。
 この噴火は、同年10月4日に東海・南海地域に宝永地震が起こってからわずか49日後のことでした。
宝永山はこの噴火によって出現しました。
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( 写真説明 )宝永山出現『富嶽百景』

■防災対策に役立ててほしい
 今回の災害史は、過去に市域が見舞われた災害を皆さんに親しみやすく理解してもらい、防災意識を高めていただくためにまとめました。
 私たちは、大災害の実体験を知らずに暮らしていますが、富士市にはさまざまな災害の歴史があります。
 まず、地震や津波は過去に繰り返し起きています。東日本大震災の被害とあわせて教訓として、予想される東海地震に備えてください。
 また、過去に富士市は地震だけではなく、「風水害の被害が大きかった」という意識を持ってください。
 さらに、「川は昔の流れを覚えている」と言います。過去の被害状況や地名が記されているので、自分の住んでいる土地の状況と照らし合わせ、かつて川だった場所などは危険性があることを認識してください。
 若い人をはじめ多くの人にこの災害史を読んでいただき、ぜひ防災対策に役立てていただきたいですね。
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( 写真説明 )災害史を監修した富士常葉大学 重川(しげかわ)希志依(きしえ)教授

「富士の災害史」を発行します

■『過去に学ぶ〜富士の災害史』
○内容/序文、(1)地震・津波、(2)水害、(3)台風・高潮、(4)富士山の噴火、(5)火災の5章で編成
○監修/重川希志依富士常葉大学教授
○執筆/駿河郷土史研究会
○編集/文化振興課
○規格/A4判78ページ
○発行日/3月1日(金曜日)
○発行部数/5,000部

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( 写真説明 )過去に学ぶ〜富士の災害史

 今回の『過去に学ぶ〜富士の災害史』の発行にあわせて、災害史本体の内容を地図情報に集約した概要版パンフレットも発行します。

■富士の災害史概要版
『過去に学ぶ〜富士の災害史』
○内容/富士市の地図をもとに、過去の災害の要点などを紹介
○規格/A4判両面4ページ
○発行日/3月1日(金曜日)
○発行部数/1万部

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( 写真説明 )富士の災害史概要版

★配布方法★
 『過去に学ぶ〜富士の災害史』と「富士の災害史概要版」は、市内学校や公共施設などに設置するほか、文化振興課(市役所7階)で希望者に無料で配布します。

【問い合わせ】
文化振興課
電話:55-2875 ファクス:53-0789
Eメール:ky-bunkashinkou@div.city.fuji.shizuoka.jp
添付ファイル
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広報広聴課 (市庁舎8階北側)
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