○地域のみんな全員が防災委員のつもりで
5年前から、西宮島区の自主防災組織のリーダーをしています。
昨年3月に地震があったことで、地区住民の防災に対する意識が高まったように感じています。東日本大震災での被災者や被災地に行った人の講演会を公会堂で行ったとき、会場に入りきらないくらいの人が集まりましたし、年5回にふやした区の防災訓練にも多くの人が参加してくれました。ことしは班ごとの避難経路を確認したり、消火栓を使った放水訓練を行ったりしました。
一人一人が災害発生時に自分のすべきことは何かがわかるように、地域に住むすべての人が防災委員であってほしいと思っています。いざというときのためには、隣近所で日ごろからのつき合いが大事だと考えます。何かあればみんなで助け合うという気持ちを強めていきたいですね。
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( 写真説明 ) 自治会の防災リーダーを務める 須藤 善(ぜん)一さん(宮島)
( 写真説明 ) 地域で行った放水訓練
○家族で情報を共有し、いざというときのために
東日本大震災のとき、私の家族はみんな違う場所にいましたが、なかなか携帯電話がつながらなかったり、途中で通話が切れてしまったりと、連絡がつかなかったことで余計に不安になりました。県東部地震では家の中で食器などが散乱しました。今まで経験した中で一番大きな揺れでとても怖かったです。
あの地震をきっかけに、まず家族間で緊急連絡先を決めました。それを書いた紙を家族全員が常に携帯しています。そして物が散乱しないように家の中を片づけ、災害時に使用する物はすべて1か所にまとめました。
またこの1年、「これは災害のときに使えるなあ」など、常に防災を意識するようになりました。物を代用し、工夫する知恵は大切ですよね。それに私が学び得たことは、きちんと子どもに伝えていかなければと感じています。
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( 写真説明 ) 昨年の地震をきっかけに家庭内の防災対策を見直した 宮川 貴子さん(大淵)
( 写真説明 ) 緊急連絡先を確認
○自分たちにできる範囲でできることを
昨年3月11日、私は職場にいました。情報を得ようと見たテレビに映し出された映像は、現実のものとは思えないものでした。津波の怖さを実感しましたね。
自社倉庫に外階段をつけようと考えついたとき、実行しないと後悔すると思いました。周りの企業や地元の町内会から、津波がきたときは避難させてほしいと依頼がありました。皆さんに依田橋と今泉の花の木にある山清倉庫が津波避難ビルであることを知ってもらい、災害時にはぜひ利用していただきたいと思っています。
私たちの会社にはたまたま高い建物があっただけです。企業それぞれができる範囲で、できることをしていかなければならないと思います。一市民としても、自分のできることをしていくことが大切だと感じています。富士市のことは富士市で暮らす自分たちで守っていかなくてはならないですよね。
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( 写真説明 ) 自社倉庫に外階段をつけ、津波避難ビルとした山清(やませい)倉庫社長 山田 泰正(やすまさ)さん(今泉6)
( 写真説明 ) 津波避難ビルとなっている依田橋の倉庫
あなたが今できること。
1年という節目の今、考えてください。あの震災を私たちのこれからにつなげていきたい。