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【広報ふじ平成23年】広報ふじ1000号記念特集 その2 広報ふじ祝1000号の歩み

こんな記事がありました - 過去の連載物などを紹介します - その1

○ふるさとの昔話
 昭和51年6月25日号- 昭和52年4月5日号
 昭和55年1月1日号 - 平成3年4月5日号
- 写真あり -
( 写真説明 ) 広報ふじ昭和51年6月25日号ふるさとの昔話

 昭和47年から52年にかけて「学園ひろば」という子ども向けのコーナーがあり、その中で、昭和51年から昔話のふるさとシリーズが連載されました。一度は終了しましたが、市民からの強い要望で、昭和55年から再び掲載し、平成3年まで続きました。さらに、平成6年から「富士の民話あれこれ」として復活し、平成13年まで続きました。

○元日号表紙人絵
平成9年1月1日号から
 市内の小学校にお邪魔して、全校児童でその年のえとをかたどる人絵。その撮影風景はすっかり年末の風物詩になりました。
 もちろん、この元日号の表紙も人絵。次の人絵の撮影は、あなたの小学校かもしれません。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 広報ふじ平成9年1月1日号表紙人絵

○富士市写真館
平成15年4月5日号から
 現在も5日号の裏表紙に掲載している人気コーナーです。
 広報広聴課で撮影した市内の昔懐かしい風景や行事などの写真とそれにまつわるエピソードを皆さんに紹介しています。
 平成20年に旧富士川町と合併してからは旧富士川町時代の写真も紹介しています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 広報ふじ平成15年4月5日号富士市写真館


市内の主なできごとを「広報ふじ」とともに紹介します その1

昭和41年11月 吉原市・富士市・鷹岡町合併
       広報ふじ創刊号発行(タブロイド版)
昭和43年4月 東名高速富士インターチェンジ開設
昭和44年9月 身延線が西回りに変更、複線化
昭和45年4月 市庁舎完成
昭和46年4月 田子の浦港のヘドロ処理始まる
- 写真あり -
( 写真説明 ) 製紙工場などから排出されたヘドロは、全国的に有名になり、早急な処理を迫られていました。

    11月 広報ふじ100号発行(B5変形版)
昭和49年4月 富士愛鷹山ろく地域の大規模開発規制
    7月 七夕豪雨で市内に15億円の被害
昭和50年2月 人口20万人突破
昭和51年3月 広報ふじ200号発行
    6月 広報ふじ「ふるさとの昔話」スタート
    7月 富士球場オープン
    8月 ディアナ号のいかり引き揚げ
    9月 公設地方卸売市場オープン
昭和52年10月 蓼原大橋開通  
昭和53年12月 富士本町アーケード完成
昭和54年8月 県立富士高校が夏の甲子園に初出場     
    10月 台風により柏原海岸に外国の大型貨物船グラティック号が打ち上げられる
昭和55年1月 広報ふじ「ふるさとの昔話」再スタート
    7月 広報ふじ300号発行(B5変形版)
    11月 国道1号沼津バイパス開通
昭和56年4月 市立博物館オープン
昭和57年8月 台風10号で国鉄富士川鉄橋橋脚が流失
- 写真あり -
( 写真説明 ) 台風の影響で富士川が警戒水位を超える水量になり、東海道線下り富士川橋は橋脚が流失。

昭和58年11月 富士市民憲章を制定
昭和59年2月 広報ふじ「クローズアップ人」スタート
    5月 広報ふじ「こちら編集室」スタート 
    8月 新市立中央病院オープン 潤井川大橋開通    
    11月 広報ふじ400号発行
昭和60年11月 核兵器廃絶平和都市を宣言
昭和61年4月 広報ふじの紙面レイアウトを大幅変更
      (B5版横書きからA4版縦書きへ、「まちかどネットワーク」がスタート)
    7月 新第一清掃工場(現在の環境クリーンセンター)が稼働 
    8月 斎場オープン
    11月 市制施行20周年
昭和62年12月 人口22万人突破     
昭和63年2月 広報ふじ「新幹線新富士駅開業特集号」発行
    3月 新幹線新富士駅開業
    8月 保健婦人センター(現在のフィランセ西館)オープン

あれから○年…。あの人はいま? - 過去の取材者を再び取材しました - その1

○最初の市民の声として登場
 第3号(昭和42年1月3日号)
 望月 照由(てるよし)さん(境)
- 写真あり -
( 写真説明 ) 当時と現在の望月照由さん

 富士山ろくの自然環境を守ってほしい
 私は、「新市政への期待」というコーナーで、これからの富士市は田園産業都市として工場や税収をふやすばかりでなく、百年先を見据えた計画をするよう提言しました。
それは、富士山ろくの自然環境を守り、自然と人間が共生しながら富士市が発展していくことを願うものでした。
 これからも富士山ろくの自然環境を守って、住みやすいまちにしてほしいですね。

○町の実感を書く小学生コーナーで登場
 第105号(昭和47年2月5日号)
 望月 光明(みつあき)さん(岩松小学校長)
- 写真あり -
( 写真説明 ) 当時と現在の望月光明さん

 市民総ぐるみで公害のないまちに
 私は小学6年生のとき、「ぼくらのまち」というコーナーで、市民総ぐるみで課題に取り組めば、公害問題もなくなるだろうと提言しました。当時、富士市はヘドロ公害が深刻で、ヘドロ処分用の長い配管が富士川まで延びていたのを覚えています。
 今では環境に対する意識が高まり、用水路などの水がきれいになりましたね。
 現在、私は教師として、将来の夢に向かって課題に取り組む子どもを育てています。

○初代ミスかぐや姫として登場
第441号(昭和61年9月5日号)
武藏(旧姓杉山)みさきさん(天間)
- 写真あり -
( 写真説明 ) 当時と現在の武藏みさきさん

 不安でいっぱいだった「ミスかぐや姫」
 第1回「ミスかぐや姫コンテスト」が開催された当時、私は高校生でした。私が知らないうちに親戚が応募し、とても驚きましたが、本選へ出場することになりました。
 審査は、富士まつり当日に行われました。思いもしなかった「初代ミスかぐや姫」に選ばれ、うれしさよりも不安で胸がいっぱいになりました。1年間の活動は、いつも責任の重たさを痛感していましたね。
 今になって振り返ると、「ミスかぐや姫」として貴重な経験ができたと思っています。

これからの「富士市」 について新成人に聞きました
平成23年富士市成人式実行委員長
神山 京介(こうやま きょうすけ)さん(鮫島)
- 写真あり -
( 写真説明 ) 当時と現在の神山京介さん

 全世代が交流するにぎやかなまちに
 私が今回成人式の実行委員長になったのは、自分たちの力で成人式を成功させたいと思ったからです。
 また、ジュニアリーダースクラブの会長をしたり、中学校のテニス部のコーチをしたりするなど、地元の活動に積極的に参加しています。
 これからも、新成人として社会に貢献するためにもっと勉強して、富士市が老若男女すべての人が交流できるにぎやかなまちにしていけたらうれしいです。
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広報広聴課 (市庁舎8階北側)
電話:0545-55-2700 ファクス:0545-51-1456
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