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【広報ふじ平成21年】特集 戦争と平和 その2

雨乞山・愛宕山に建設された地下ごう

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( 写真説明 ) 愛宕山山頂に残る地下ごう入り口の様子

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( 図説明 ) 愛宕山山頂に残る地下ごうの平面図
 
 室野区南西方面にある雨乞山・愛宕山の山腹に、数多くの地下ごうが掘られています。これは、日本の戦況が悪化した太平洋戦争末期、本土決戦に備えてつくられたものです。米軍が駿河湾から上陸して、富士川沿いを北上することを想定し、山頂から砲撃するための陣地としてつくられました。
 作業は、昭和19年ころから始まりましたが、ほとんどが手作業だったため困難を極めました。
 しかし、昭和20年7月になると、作業は急に中止となりました。理由は、陣地をつくっても備えつける砲がなかったとか、米軍が関東方面に上陸する可能性があり移動命令が出たなどと言われていますが、定かではありません。
 昭和61年、町は11か所の地下ごうの測量調査をしました。愛宕山山頂にある地下ごうが最も大きく、高さ1.5メートル、全長81.7メートルあります。
※地下ごうは、危険なため現在立ち入り禁止です。

戦時中の旧富士川町 (3)室野区

●突然、自宅が軍隊の駐屯場所に●
 昭和20年春、私は家業のミカン農業に従事していました。すると、突然兵士数人が家に来て、「家を借りたい」と言いました。当時の軍隊の要請は断ることもできず、家の2間を提供しました。兵士が学校に泊まり、幹部が民家に泊まっていたようです。軍隊が室野区に駐屯する理由は、近くの雨乞山への陣地(地下ごう)の構築でした。何でこんな場所にごうを掘るのか不安でたまりませんでした。
 家では、幹部会議が開かれていましたが、内容は秘密で、地下ごうの建設現場にも近づけませんでした。食糧は乏しく、兵士たちは、家畜に与えるようなものを食べていました。そのため、家でつくった食べ物は兵士たちに食べてもらいました。
 私は、5月に出兵しましたが、兵士は地下ごうの建設が中止になる7月ごろまで家にいたそうです。
 その後、私は磐田市の訓練所で終戦を迎えました。戦地に行かなくて済み、ほっとしたのを覚えています。

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( 写真説明 ) 戦時中、自宅が軍隊の駐屯場所になった 谷津倉 諄吉さん(木島)
( 写真説明 ) 地下ごう測量調査時の写真

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( 図説明 ) 11か所の地下ごうの分布図

愛宕山山頂に建立された平和祈念碑

 平成7年8月15日、戦後50周年の終戦の日。将来に向けて恒久の平和を祈念して建立された平和祈念碑の除幕式が行われました。
 除幕式は、地下ごうの建設に携わった当時の隊長も招待し、当時の思い出と平和について話していただきました。
 場所は、戦時中につくられた愛宕山山頂の最も大きい地下ごうの入り口近くに建立しました。高さ3メートルにも及ぶ松野地区産の俵石と呼ばれる石材と、愛宕山山頂の地下ごうの概要を記載したステンレス製の説明板が設置されています。

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( 写真説明 ) 愛宕山山頂にある平和記念碑

地下ごう調査と平和祈念碑建立の秘話

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( 写真説明 ) 平和記念碑除幕式の様子

●地下ごうを歴史的記録として残しておきたい●
 昭和61年、私は旧富士川町で広報の仕事をしていました。地下ごうを歴史的記録として残しておくため、測量調査を行いました。私も地下ごうの中に入りましたが、とても狭くて暑く、崩れている所もあって大変危険でした。11か所の地下ごうを調査しましたが、ほかにも地下ごうがあるのではないかと思いました。
 平和祈念碑は、この戦争の史跡である地下ごうから恒久の平和を祈念するため、郷友会や遺族会などの平和祈念碑建立委員会の協力により建立されました。
 実は、建立予算が少なくて困っていましたが、父親が戦争に従軍したという知人が、地元産の巨大な俵石を寄贈してくれました。そのおかげもあり、立派な平和祈念碑をつくることができました。ぜひ、大切に後世へ残していきたいですね。

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( 写真説明 ) 地下ごうの調査をし、平和祈念碑の建立にも携わった 富士川ふれあいホール 近田 弘 参事

2009平和のための富士戦争展

○テーマ 私たちがまもるべきもの 平和 過去を知ればきっと気付くはず
○とき 8月11日(火曜日)〜16日(日曜日)9時〜17時(11日は10時開会式)
○ところ ロゼシアター展示室
○入場料 無料 
○展示内容 
・戦争が若者たちの未来を奪った!〜戦場に散った富士市の兵士たち(若者たちの数々の遺品を展示)
・富士地域にあった戦争の傷あと〜本土決戦に備えて富士地域は(旧富士川町の高射砲陣地づくりなどを紹介)
※このほかにも、数多くの展示、読み聞かせ、ビデオ上映などがあります。
○問い合わせ 「平和のための富士戦争展」実行委員会 事務局・富士市職員組合 電話 55-2893

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( 写真説明 ) 長年にわたり「平和のための富士戦争展」の実行委員を務めている
土屋 芳久さん(入山瀬)

●戦争の悲惨さを子どもたちに伝えたい●
 私は9歳のとき、東京大空襲で家を焼かれ失いました。その時のことを思うと今でも涙が出てきます。
 戦後、私は県の職員になり、退職した今は戦争の悲惨さを次世代に伝えるための活動をしています。
 ことしで22回目の「平和のための富士戦争展」は、初めから参加しています。今回は旧富士川町の内容も紹介しますので、ぜひご家族で見に来てください。

★終戦当時の引揚者の皆さんへ★
 通貨・証券などを返還しています
  戦争後に外地から引き揚げてきた皆さんが、税関などに預けた通貨や証券を返還しています。返還請求は本人のほか、家族でもできます。
問い合わせ 名古屋税関 清水税関支署 田子の浦出張所 電話 33-2791

★ビデオや16ミリ映画フィルムを貸出中★
  戦争や平和について考える機会を提供するため、視聴覚資料の貸し出しを行っています。
問い合わせ 広報広聴課 電話 55-2700 ファクス 51-1456

 終戦から既に64年。昭和時代と同じ年月が流れ、当たり前のように平和な日々は続いています。
 しかし、今回紹介した史跡などは、今もなお、戦争の痛みを伝え続けています。
 その史跡たちは、戦争体験を風化させないため、私たちを見つめ続けているかのようでした。
 ことしもまた、あの年と同じ暑い夏がやってきます…。

特集 戦争と平和 おわり
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広報広聴課 (市庁舎8階北側)
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