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【広報ふじ平成21年】特集 富士川

 昨年11月1日に、富士川を隔てて分かれていた富士市と富士川町が合併し、一つのまちとなりました。
 新たに富士市を縦断する日本3大急流の一つ「富士川」。昔から私たちの先祖は、富士川の猛威にさらされながらも、工夫をして生活してきました。
 富士川と先人のさまさまな活動を紹介します。

(1)かりがね堤
 岩松の歴史を語る会 落合 栄(さかえ)さん
- 写真あり -
 江戸時代初期まで、富士川の本流は田子の浦港あたりに流れ込み、支流がいくつもありました。その中州を新田開発しましたが、大雨が降ると大洪水となり、すべての作物を押し流しました。そこで地主だった古郡(ふるごおり)重高が、「だし」といわれる堤防を築き、重高の子・重政はその堤防をさらに補強しました。しかし、長年かけて築いた堤防は大洪水により破られてしまいました。重政はそれでもあきらめずに研究を重ね、新たな堤防を計画しましたが、亡くなってしまいました。重政の子・重年が工事を受け継ぎ、人柱を立てるなど苦労の末に堤防は完成しました。親子3代53年を要しました。堤防は、雁(かり)が飛んでいるように見えるので「かりがね堤」といわれています。
 重年没後300年を記念して始まった投げ松明(たいまつ)が有名な「かりがね祭り」は、かりがね堤の歴史を多くの人に伝え続けています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) かりがね祭り投げ松明

(2)川カンジー
 松野地区大北(おおきた)町区長 佐野 正治(まさじ)さん
- 写真あり -
 富士川や疫病で亡くなった人の川供養です。神仏の霊を祭る意味の「勧請(かんじょう)」という言葉が「カンジー」になったといわれています。
 毎年8月15日に行われ、麦わらを編んで円形状につくった船を、中央に松明をつけて川に流しています。
 毎年交代での当番は大変ですが、これからも区の皆さんの協力を得ながら、伝統あるこの行事を続けていきたいですね。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 昭和31年の川カンジー

(3)新東名高速道路富士川橋(仮称)
 中日本高速道路(株)大岩 春仁さん
- 写真あり -
 この橋は鋼・コンクリート複合アーチ橋という日本初の形式で、水面から約70メートルの高さにあり、長さが約370メートルです。
 この場所は川幅が狭いため、急流への対策や、環境保護などを考慮し、橋脚はつくらずに両端から張り出す工法で建設しました。 
 地元の皆様の理解と協力を得ながら、早期開通を目指しています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) アーチ型の富士川橋(仮称)

(4)富士川緑地
 田子の浦港にたまったヘドロは、昭和46年から富士川河川敷で脱水処理して道路や公園の建設に利用しました。富士川緑地(公園)はそのヘドロを利用して建設され、昭和49年に完成しました。
 約52ヘクタールの広さがあり、軟式野球、ソフトボール、サッカーをはじめ、ニュースポーツの全国大会が開催されるなど、多くの人に幅広く利用されています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 富士川緑地

(5)渡船(とせん)・高瀬舟(たかせぶね)
 池谷(いけたに) 九万夫(くまお)さん(中之郷)
- 写真あり -
 昔、富士川は船で渡るしかありませんでした。江戸時代渡船は徳川幕府の直轄で、旧岩淵村(富士川地区)と旧岩本村(岩松地区)をつなぐ重要な交通手段でした。
 また、高瀬舟は甲州(山梨県)との間で米や塩などを運ぶ船で、運搬に下りは半日、上りは4人がかりで岸から縄で引っ張り、5日もかかりました。
 当時岩淵村は、水運の拠点として潤い、大勢の人でにぎわっていました。その水運の許可をめぐって、対岸の岩松村と争ったこともあったそうです。
 その後、かりがね堤ができて富士川の流域が変わり、明治時代になると水運は鉄道の開通や民営化などにより衰退しました。そして、大正時代に富士川橋が完成し、渡船の歴史に終止符が打たれました。
※西部ブロック(岩松・岩松北・富士川・松野)まちづくりセンターでは、小学校高学年対象の少年教育事業として、富士川をつなぐ渡船や高瀬舟をはじめ、富士川の長い歴史を子どもたちに教えています。
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( 写真説明 ) 渡船場があった場所
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( 写真説明 ) 子どもたちに渡船・高瀬舟の説明をする池谷さん

(6)河川敷憩いの広場
 天野 輝雄さん(岩淵)
- 写真あり -
 旧富士川町主催「まきの木大学」グラウンドゴルフ部として毎月利用しています。初心者から上級者まで、常時40〜50人が楽しみながら運動しています。
 富士川の水管橋越しの富士山を見ながら、芝の上で気持ちよくプレーできることが何よりも楽しみですね。
 これからもみんなでルールを守り、きれいに使いながら、このすばらしい環境を守っていきたいですね。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 河川敷憩いの広場

(7)富士川橋(旧国道1号)
 勝呂(かつろ) 督之助(とくのすけ)さん・惠子さん(岩淵)
- 写真あり -
 大正13年8月、富士川に初めて道路鉄橋が完成しました。その建設に携わったのが、私の曾祖父勝呂平右衛門が営んでいた勝呂組でした。
 鉄道の富士川鉄橋をつくり「橋梁小川」の異名を残した小川勝五郎さんが技術的な指導を行い、富士川の急流に苦労しながらも、ようやく堅固な橋が完成しました。
 開通式では、平右衛門と当時富士川町長であった息子の重作、孫の寛一の3世代夫婦による渡り初めが行われました。
 この富士川橋が旧富士川町と富士市を結ぶ重要な架け橋であり、先祖がこの工事に携わったことを誇りに思っていますので、後世に伝えていきます。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 富士川橋渡り初め


これからも、富士川とともに…。
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