53 富士川鉄橋流失
昭和57年8月(東海道線富士川鉄橋)
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( 写真説明 ) 現在の様子
( 写真説明 ) 当時の様子
急流の恐ろしさを感じた鉄橋流失
富士川は急流のため、東海道線と道路(富士川橋)の鉄橋は、工事完成までにかなり苦労したそうです。私の曾祖父は、富士川橋の工事作業中に亡くなっています。私は、富士川の近くに住んでいるので、子どものころは、富士川を泳いで横断したものです。しかし、雨が降ると増水し、ものすごい勢いの濁流となり、大変危険であることもよく知っていました。
昭和57年8月2日は、台風10号で未明から激しい雨が降っていました。ニュースで、東海道線下りの富士川鉄橋が流失したことを知り、近所の人と見に行きました。すると、橋脚は押しつぶされ、橋げたが川下に流されていました。また、富士川の近くにあった私の梨畑は浸水して、車2台が浮かび、魚が入っていたこともよく覚えています。改めて「急流富士川」の恐ろしさを感じたときでした。
その後、2か月以上もかかって、富士川鉄橋はようやく修復されましたが、大変不便だったことを思い出します。
もうすぐ富士市と富士川町は合併をしますが、これからも富士川鉄橋は新しい富士市を結ぶ架け橋であり続けてもらいたいですね。
流失した富士川鉄橋の状況を見た
望月 國守さん(松岡)
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