46 浮島
昭和52年(東小学校南側)
浮島で米や茶を生産している
後藤 實(みのる)さん・初代さん(西船津)
- 写真あり -
変わらない風景、でも実は…
實さん:
昔、浮島地区はその名前のとおり、アシが生い茂る沼地でした。腰まで水につかって田植えをしたものでしたよ。
しかし、昭和30年代と60年代に行われた2回の土地改良で、農業の環境は大きく変わりました。特に2回目の土地改良では、水利の向上・乾田化をはじめ、田んぼを集約して一枚の面積を大きくし、道路の拡幅に伴い、大型機械を導入しました。その結果、米の品質と収穫量が大幅に向上しました。写真当時と現在を比べると、見た目以上に、私たち農家にとって大きな進展があったんですよ!
初代さん:
土地改良以前、東田子の浦駅を利用する学生は、アシの生い茂った細い道を徒歩で通学していました。今では、整備された道路を自転車がさっそうと通り過ぎたり、自動車が吉原沼津線や国道1号に乗り入れたりすることが当たり前の風景になりました。
今、整備された土地で農業ができることに本当に感謝しています。変わらない富士山の雄姿に見守られ、変わらない農業への思いを胸に、おいしいお米とお茶の生産に向けてきょうも頑張っています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 昭和5年ごろの田植えの様子