現在、Jリーグジュビロ磐田に所属し、日本代表選手としても活躍する、富士市出身の川口能活選手。気迫のこもったプレーで、私たちに感動を与えてくれています。
市制施行40周年記念号となる今回、川口さんに、富士市にいたころの思い出などをインタビューしてきました。
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小さいころの思い出
小さいころは、ガキ大将で、近所の子どもを引っ張っていくような子どもでした。天神さんと呼ばれている、近所の天満宮でよく遊びましたよ。学校から帰ってくると、そこへ行って近所の友だちと一緒にキックベースボールや野球をしました。天神さんの境内の裏にある湧(わ)き水を飲んだり、セミやカエルをとったりもしましたね。
毎年8月24・25日に行われる天神さんの祭りによく行き、子どもの相撲大会に友だちと参加していました。参加するともらえるプラモデルが欲しくて…。勝つと、負けた人より大きいものがもらえたんですよ(笑)。
サッカーは人生そのもの
サッカーを始めたのは小学校3年生のとき。そのころはやっていたアニメ「キャプテン翼」の影響と、兄の「サッカーを始めたら」という一言で、天間サッカースポーツ少年団(現在の鷹岡天間サッカースポーツ少年団)に入りました。少年団に入った当初は、余り熱心とは言えず、練習をさぼることもありました。でも先生に厳しく指導されるうちに、サッカーに魅せられていきました。
初めは、いろいろなポジションでプレーをしていましたが、試合には出られませんでした。あるとき、ゴールキーパーが試合に来なくて、代わりに自分が出場する機会を得ました。その試合でうまくできたことが、ゴールキーパーとしての始まりでした。
富士川の河川敷でよく試合をしました。サッカー場のそばにテントを張って、チームみんなでお弁当を食べたのも楽しい思い出です。それに、河川敷から見た富士山も心に残っています。特に、晴れた日に見える富士山は本当にすばらしいですよね。
富士市でサッカーを始めた自分が、プロとして、また日本代表としてサッカーをやってこられるなんて、考えもしませんでした。今は、サッカーをできることが喜びですね。
これまで、サッカーを通じていろいろな場所に行き、いろいろな人に出会うことができました。サッカーは、今までの自分の人生そのものです。
これからもできる限り、プロとしてサッカーを続けていきたいですね。ずっとサッカーに携わっていけたらと思っています。
故郷である富士市
富士市は自分が生まれた街です。自分がどこでプレーしていても、富士市出身だという気持はいつも持っています。
ことしドイツで開催されたワールドカップで、富士市の皆さんが熱い応援をしてくれたことはとてもうれしかったですね。
今後も、富士市の皆さんに、喜びや感動をもっと与えられるよう、頑張りたいと思います。
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( 写真説明 ) 応援団長を務めた小学6年の運動会(左)
( 写真説明 ) 劇「かさじぞう」を行った誕生会(左)