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【広報ふじ平成17年】古墳めぐり 富士市を再発見!

古墳めぐり 富士市を再発見!

市内では、約600基もの古墳が発見されていることを、ご存じですか?
 これらの古墳がつくられたのは、四世紀末ごろから八世紀にかけて、富士市の周辺が「スルガ(珠流河)の国」と呼ばれていたころのことです。近年、多くの発掘調査が行われ、その時代の人々の生活が明らかになりつつあります。あなたも、古墳を通して、富士市の昔に思いをはせてみませんか?
- 写真あり -
( 写真説明 ) 実円寺西(じつえんじにし)第1号墳

- 図表あり -
( 図表説明 ) (地図)富士市の主な古墳マップ
( 図表説明 )     市内約600基の古墳のうち、須津川、春山川沿いでは、3分の2(約400基)もの古墳が確認されています。

いざ、古墳めぐりに出発!
 今回は、まちかどネットワーカーの小池さんと一緒に、市内4か所の古墳と、埋蔵文化財調査室を見学しました。
*市内の古墳は、多くが私有地となっているため、無断で立ち入ったり、荒らすことのないよう見学しましょう。

(右側)
古墳に興味津々
まちかどネットワーカー
 小池 則子さん(日乃出町) 以下(小)

案内役
前田 勝己 主査(文化振興課) 以下(前)
- 写真あり -

今回の見学コース

 庚申塚(こうしんづか)古墳
 (東柏原新田)
    ↓
 浅間(せんげん)古墳
  (増川)
    ↓
 大坂上(おおさかうえ)古墳
   (比奈)
    ↓
 実円寺西(じつえんじにし)第1号墳
  (三ツ沢)
    ↓
 富士市埋蔵文化財調査室

(1)庚申塚(こうしんづか)古墳
   (県指定史跡)
    双方中方墳(そうほうちゅうほうふん)(国内で3基のみ)
- 写真あり -

(前) この古墳は、天皇の食をつかさどる「膳氏(かしわでし)」という一族にかかわりのある人物のお墓ではないかという説があります。「柏原(かしわばら)」の地名は、膳氏に由来するのではないかとも言われています。
 また、地名に「塚」とつく場所には、古墳があったと考えられています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) (古墳上部)
( 写真説明 ) この下に、古墳時代の権力者が眠っているのです。

(2)浅間(せんげん)古墳
  (国指定史跡)
   前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)(全長約100メートル)
- 写真あり -

(小) とても眺めがいいですね!

(前) 古墳は、権力者が自分の支配する地域を一望できるように、また、自分の力をアピールするために、人々が見上げる高台につくられました。スルガの国最大で最古の古墳です。

 古墳の表面全体には、石が並べられていました。これを「葺石(ふきいし)」と言います。理由は、盛った土が雨などで流れないようにするためと、白く輝かせて神々しさをあらわすためと思われます。
 川の近くに古墳が多いのも、川原には石が多くて都合がよかったからでしょう。
- 写真あり -
( 写真説明 ) (小)ほら、石の一部が見えていますよ

(3)大坂上(おおさかうえ)古墳
- 写真あり -

(前) 吉原工業高校の校庭を整地するときに発掘調査を行い、中からは多くの副葬品が出てきました。これは移築されたものです。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 円墳

(4)実円寺西(じつえんじにし)第一号墳
  (市指定史跡) 円墳
- 写真あり -

(5)富士市埋蔵文化財調査室
- 写真あり -
( 写真説明 ) (中央)須恵器(すえき)
( 写真説明 ) (下段、2点)勾玉(まがたま)などの装飾品

( 写真説明 ) (前) ここでは、遺跡から発掘したものを整理・研究しています。復元が完了したものは、博物館などに展示しています。これらの装飾品は、主に男性のものなのですよ。

( 写真説明 ) (小) 本当にきれいで、おしゃれですね!今でも十分通用しますよ。一つ欲しいくらい(笑)。

( 写真説明 ) (小) これは何ですか?

( 写真説明 ) (前) 副葬用につくられた、水筒のようなものです。中に、お酒でも入れたのかもしれませんね。
- 写真あり -

見学を終えて…
 古墳を通して、私たちの先祖が、どのように生活してきたのかを知ることができ、きょうは驚きと発見の連続でした。古代の人々を身近に感じ、とてもいとおしい気持ちになりました。
 私たちは、古代の人々が積み重ねてきた暮らしの上に生活しているのですから、これからも、古墳をはじめ地域の遺跡を大切に守り、次の世代に残し伝えていかなければなりませんね。

●古墳時代って?●
 弥生時代と奈良時代の間、3世紀中ごろ〜8世紀初めごろを「古墳時代」と言います。このころ、近畿地方では、豪族(ごうぞく)と呼ばれる人たちが、大王(おおきみ)(後の天皇)を中心に「大和(やまと)政権」を築いていました。
 古墳は、支配階級の人たちのお墓です。その支配勢力の広がりとともに、日本各地につくられるようになりました。
 古墳時代のはじめは、豪族などの権力の象徴として古墳がつくられていましたが、やがて、ムラ(村)の長(おさ)クラスの人物までが、小さな古墳をつくるようになりました。副葬品も、鏡などの宝器から、土器や馬具などに変わりました。

市内の主な古墳

琴平(ことひら)古墳(県指定史跡) 円墳
- 写真あり -
( 写真説明 ) 中里

伊勢塚(伊勢塚)古墳(県指定史跡) 円墳
- 写真あり -
( 写真説明 ) 伝法

千人塚(せんにんづか)古墳(市指定史跡) 円墳
- 写真あり -
( 写真説明 ) 神谷

稲荷塚(いなりづか)古墳(市指定史跡) 円墳
- 写真あり -
( 写真説明 ) 船津

山の神(やまのかみ)古墳(市指定史跡) 前方後円墳
- 写真あり -
( 写真説明 ) 東柏原新田


古墳が歴史を物語ってくれます
富士市文化財審議会委員
植松 章八(しょうはち)さん
- 写真あり -

●東西の要素をあわせ持つ富士市の古墳
 富士市の古墳は、西日本・東日本両地方の古墳の要素を持っているので、研究対象としておもしろい地域です。また、古墳の質も量も豊かですから、調査研究は大変ですが、とてもやりがいがあります。
 例えば、6〜7世紀の古墳のつくられ方を調べることで、王が国を支配する時代が終わって、役所を持つ「郡(ぐん)」ができる過程をうかがい知ることができます。現在の富士川から、長泉町のあたりまで広がっていたスルガの国のうち、西半分を富士郡が支配するようになったこと、また富士郡の役所が、現在の富士インターチェンジ付近にあったことなど、具体的なことまで推測できます。

●小さな発見が貴重な資料に
 これまでは、古墳での個々の発見が、なかなか地域の歴史の流れにまでは結びつきませんでした。しかし、ようやく、それらの個々の発見を結びつけ、歴史の流れを形づくっていく段階に入ってきました。古墳の形や出土品が歴史を物語り、今後、歴史を解釈していくために重要な資料となります。
 もし皆さんのお宅に出土品らしき物があったり、市内で発見したりした場合などは、博物館にご連絡ください。地域の歴史研究がより密度の高いものとなっていくために、「小さな発見」にぜひご協力ください。

●古墳などに関する問い合わせ●

文化振興課 電話 55-2875 ファクス 53-8525
市立博物館 電話 21-3380 ファクス 21-3398
埋蔵文化財調査室 電話 22-2095 ファクス 22-2096
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