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( 写真説明 ) 現在、富士川にかかる水管橋の様子
東駿河湾工業用水道
富士川にかかる水管橋は、東駿河湾工業用水道の一部です。この工業用水道は、富士川水系を源とする企業の放水路(蒲原町)より取水し、地下水の保全、市内の工場へと水を供給することを目的としています。昭和46年12月から給水が開始され、1日約68万トンの給水能力があります。
当時、水管橋建設に携わった・小澤 義弘(よしひろ)さん(原田)
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地下水の保護と工業の発展を考え
昭和30年代後半、吉原地区から吉永地区方面にかけて、工場の井戸水に塩水化現象があらわれました。当時、地下水はまだ豊富にあるとの風潮でしたが、適正量を超えた使用により塩水化してしまった井戸は、元に戻らないことが判明しました。そこで、製紙業を中心とする用水型企業は、全国に先駆け井戸新設などに自主規制を始めました。
一方、市の将来や工業の健全な育成・発展を考えると、工業用水の確保が必要でした。そのため、「東駿河湾工業用水道協力会」が発足、富士川に水菅橋がかかることになりました。私には今でも水管橋が伸びゆく富士市の象徴に見えますね。