7月29日から8月1日にかけて、富士市と岩手県雫石(しずくいし)町の小学生による新たな交流事業が行われました。
4日間にわたる子どもたちの様子を、写真で紹介します。
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( 写真説明 ) 雫石町の友達と一緒に「ハイ、ポーズ!!」。
( 写真説明 ) 雫石町の友達との交流は、飛行機事故で亡くなった162人と同じ数の「夢あかり」(灯ろう)の点火式から始まりました。
( 写真説明 ) 歓迎セレモニーでは、雫石町の友達に「富士サンバ」の踊りを披露。
( 写真説明 ) 慰霊碑や航空安全祈念の塔では、一人一人が献花をし、手を合わせました。
( 写真説明 ) 「二度と、このような悲しい事故が起こりませんように」。
( 写真説明 ) 慰霊の森では、お地蔵さんの掃除や草取りなど、雫石町の友達と一緒に清掃をしました。
( 写真説明 ) 2日目、3日目の夜はホームステイ。新しい友達ができたね。
( 写真説明 ) キュウリとトマトの収穫体験。新鮮な野菜がとれました。
( 写真説明 ) 魚のつかみ捕りや川遊びも体験。全身びしょぬれになって遊びました。
雫石町上空で起こった悲しい飛行機事故
今から33年前(昭和46年7月30日)の午後2 時過ぎ、緑豊かな山々に囲まれた岩手県雫石町の上空において、民間航空機と自衛隊機の衝突事故が起こりました。この事故では、民間航空機の乗客乗員162人全員の尊い命が失われ、その犠牲者の中には、125人という多くの富士市民が含まれていました。
この事故は、当時、民間航空史上最大の飛行機事故とも言われ、人々の心に大きな 悲しみをもたらしました。
後にこの事故現場には、遺族の熱意と多くの関係者の善意により「慰霊の森」が築き上げられました。ここでは毎年、富士市、雫石町、関係団体などの皆さんにより慰霊祭が行われてきましたが、昨年の33回忌をもって最後となりました。
現在、慰霊の森では、地域や世代を越えた多くの皆さんにより、清掃などの奉仕活動が続けられています。
多くの人々に大切に見守られ続け、162人の御霊は、今日もこの森で安らかに眠っています。
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今回、初めての交流事業。子どもたちは、往復約20時間という長時間にわたるバスの旅にもかかわらず、常に元気いっぱいでした。慰霊の森での奉仕活動や、自然の豊富な雫石町ならではの体験もでき、ホームステイでは新しい友だちもできました。
来年は、私たちが雫石町の友達を迎えます。雫石町の友達にも、この富士市でたくさんの楽しい体験をしてもらいたいですね。