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東京オリンピック 聖火リレー 昭和39年10月6日
東京を目指して次々とリレー
東京オリンピック開催直前の昭和39年10月6日、開催地東京を目指した聖火が、国道一号(現在の県道富士・由比線)の富士川橋を渡り、ついに富士市に到着しました。聖火を運ぶリレー隊は、各競技で活躍している高校生や社会人を中心に編成。国道を旧富士市では3区間、旧吉原市では4区間に分けて、聖火は白煙をなびかせながら、リレー隊によって堂々と運ばれていきました。
なお、ことしの国体では、(※)炬火(きょか)リレーを実施。富士山の頂上で採火された炬火を多くの市民の皆さんがリレーします。
※「聖火」という名称は、オリンピックなどでしか使用できません。
沿道や中継所には大勢の皆さんが
聖火リレーで区間責任者を務めた
佐藤 嘉邦(よしくに)さん (桑崎)
- 写真あり -
当時、高校の陸上部の顧問をしていましたので、元吉原地区を走る区間の中継責任者を務めました。中継所や沿道には、日の丸やオリンピックの小旗を持って声援を送る市民の皆さんが大勢いました。ずいぶんと盛り上がりましたね。日本で最初のオリンピックで、もちろん聖火を見るのも初めてですから、皆さんの期待や関心も大きかったと思います。国体でもこうしたリレーが見られると思うとわくわくします。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 聖火が富士市の走者のトーチに(富士川橋東側水神付近)
( 写真説明 ) 元吉原付近