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【広報ふじ平成15年】ふじサンハートリンク

 このコーナーでは、富士地区2市1町(富士市・富士宮市・芝川町)の情報をお知らせします。今回は、富士宮市と芝川町にある歴史的建造物や遺跡について紹介します。

富士宮市 「狩宿(かりやど)の下馬(げば)ザクラ」と「井出館(いでやかた)跡」

- 写真あり -
- 図表あり -

 建久(けんきゅう)3年(1192年)に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になった源頼朝(みなもとのよりとも)は、その翌年、多数の御家人(ごけにん)を集め富士野において巻狩を行いました。
 その舞台となった富士宮市北部の白糸・上井出地区には、富士の巻狩にまつわる伝説が数多く残っています。中でも、頼朝の宿所が置かれたと伝えられる狩宿の井出家やその周辺には、「狩宿の下馬ザクラ」や「井出館跡」などの代表的な伝承地があります。
 「狩宿の下馬ザクラ」は、ここで頼朝が馬からおりたところだと言われています。この桜には、頼朝が馬をつないだという「駒止めの桜」の伝説や、頼朝が宿所の前に刺した桜の枝が根づいたものだとの伝説もあります。
 この桜は国の天然記念物に指定されています。樹種はアカメノヤマザクラで、花の見ごろは4月中旬です。
 頼朝の宿所が置かれたと言われる「井出館跡」は、狩宿の下馬ザクラの北側で、現在は「元屋敷」と呼ばれているところです。周囲には、幕を張ったと言われる「幕張の欅(けやき)」があります。
 現在の井出家邸宅は、寛政9年(1797年)の消失後に再建されたと伝えられていますが、城郭の門によく見られる高麗門(こうらいもん)があり、井出家の歴史的存在を誇示しています。

富士宮市文化課 電話 0544-22-1187

芝川町 「大鹿窪(おおしかくぼ)遺跡」

- 写真あり -
- 図表あり -

 芝川町の中心部を南北に縦断して富士川に合流する芝川の左岸側、大鹿窪という地区で、縄文時代から中・近世の遺跡が発掘されました。中でも、縄文時代草創期(そうそうき)後半(約1万1,000年前)と思われる集落跡が中心に見つかりました。
 この「大鹿窪遺跡」では、現在わかっているもので11基の住居跡が発見されています。このうち8基の住居跡が、広場と思われる場所を中心に半円形(馬てい形)に並んで集落の形をしていました。広場には、石を集めて料理をした跡と思われる集石遺構や、祭事を行ったと思われる配石遺構なども見つかりました。また、当時の人々が使用したと思われる、煮炊きに使用した土器のほか、狩猟のために槍(やり)の先につけて使った尖頭器(せんとうき)や、弓の矢の先につける矢じりなどの生活用具も数多く発掘されました。
 従来、このように集落を形成していたのは、本州では縄文時代草創期の次の時代(縄文時代早期中葉)と考えられていたので、その意味でも貴重な遺跡と言えます。
 なお、現在は、遺跡の保護(風化や劣化防止)を目的に砂をかぶせてあります。

芝川町教育委員会 電話 0544-65-0402
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