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【広報ふじ平成14年】特集 市内の地名の由来を探ろう!!

 ふだんはあまり意識していない地名ですが、地名にはその土地の特徴や歴史があらわれています。今回の特集では、郷土の歴史とともに歩んできた地名の由来をいくつか紹介します。
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( 図表説明 ) 地図
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( 写真説明 ) 『地図使用承認』C昭文社 第02E055号

1.浮島(浮島)
 明治22年3月、船津村、西船津村、境村が合併して浮島村になりました。この村の人たちは沼の恩恵を受けて生活してきたので、村名を浮島としたのでしょう。この地では、水害のとき、植えた稲と一緒に表土が浮いて流れることがあり、これを浮島とも呼びました。
 東海道が沼の近くを通った平安時代には、浮島沼の名状が献に登場し、歌や詩にうたわれるようになりました。
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( 写真説明 ) 東小学校南側

2.須津(すど)
 明治22年3月、中里(なかざと)村、大坪新田(おおつぼしんでん)、川尻(かわじり)村、神谷(かみや)村、増川(ますかわ)村、江尾(えのお)村が合併して須津村が誕生しました。須津の名は、愛鷹山から流れ出る土砂が浮島沼に流れ込み、この地が州(す)をなすところ(州処(すど))であったことに由来しているものと思われます。鎌倉時代の文献には、須津庄(すどのしょう)として現在の漢字が登場しています。
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( 写真説明 ) 須津橋

3.元吉原(もとよしわら)
 元吉原村は、明治22年3月、鈴川(すずかわ)村、今井(いまい)村、大野新田(おおのしんでん)、桧新田(ひのきしんでん)、田中新田(たなかしんでん)、沼田新田(ぬまたしんでん)、東・中・西柏原(かしわばら)新田が合併してできた村です。江戸時代初めに、吉原宿が鈴川、今井にあったことから、元の吉原という意味で村名にしました。また吉原の名は、この地がかつてヨシがたくさん生い茂っていた原であったことからついたものです。
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( 写真説明 ) 毘沙門天前

4.吉永(よしなが)
 明治22年3月、比奈(ひな)村、富士岡(ふじおか)村(江戸時代は宗高(むねたか)村)、間門(まかど)村、鵜無ヶ渕(うないがぶち)村、石井(いしい)村、桑崎(かざき)村の六か村が合併して吉永村になりました。
 吉永という名は、天正2年(1574年)に武田勝頼から出された文書に、吉永郷と書かれていたので、古くからの地名であることがわかります。地区には赫夜姫(かぐやひめ)という小字もあります。
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( 写真説明 ) 竹採公園

5.原田(はらだ)
 原田とは、比較的平らな原野を開いて田をつくった土地という意味になります。しかし、いつごろから原田と呼ばれたのか明らかではありません。
 原田という地名が最初に文献に記されているのは、永明寺(ようめいじ)が所蔵している古文書の今川義元判物(はんもつ)で、永禄2年(1559年)」6月8日という日付があります。
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( 写真説明 ) 岳南鉄道原田駅前

6.鵜無ヶ渕(うないがぶち)
鵜無ヶ渕の歴史に詳しい鈴木伊三男(いさお)さん (鵜無ヶ渕)
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源頼朝にまつわる歴史に由来
 鵜無ヶ渕の地名は、昔、源頼朝が富士の巻狩りのとき、この地で大きなふちを見かけ、家来に鵜(う)がいないかどうか見に行かせたところ、鵜がいなかったことから名づけられたと伝えられています。特徴があり珍しい地名ですから、すぐに覚えてもらえていいですね。
 近くには旧石器時代の遺跡もあり、このあたりにはかなり昔から人が住んでいたようです。自然環境に恵まれているからでしょうか。私も小さいころ仲間と一緒にアケビやシイの実などをよくとって食べたものです。

7.神戸(ごうど)
 神戸はかんべとも読んで、神社に附属する農民という意味をあらわします。神戸村は今宮(いまみや)村や一色(いっしき)村と同様、古くから今宮浅間神社の社領村でした。そして天文16年(1547年)、今泉の東泉院の寺領村となってその支配を受けました。
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( 写真説明 ) 神戸小学校西側

8.大淵(おおぶち)
 大淵という地名は、源頼朝が富士の巻狩りのとき、この付近で、馬のむちを探させたことから「むち」が「ぶち」になまったことからという説や、大きなふちがあったからという説があります。
 大淵村は武田氏の家臣小山氏が、中野村は秋山氏が開拓した村だと言われています。曽比奈(そびな)や三ツ倉(みつくら)はもっと古くから開拓されたようです。
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( 写真説明 ) 中野交差点

9.厚原(あつはら)
 厚原村の成立は、鎌倉時代にまでさかのぼれそうです。厚原の語源について、日本惣国(そうこく)風土記では、「撲原(たつはら)」と記しています。一説では、撲原は厚木原とも書いて、それがいつか転じて厚原となったと言われています。日蓮上人(にちれんしょうにん)は熱原と書いていました。総じて古くは熱原と書かれていました。
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( 写真説明 ) 厚原スポーツ公園

10.鷹岡(たかおか)
 鷹岡村は明治22年3月、厚原村、久沢村、入山瀬村、天間村の4か村が合併してできた村です。鷹岡という村名にした理由は必ずしも明らかではありませんが、鎌倉時代にはすでにこの付近を鷹ヶ丘と呼んでいましたので、その鷹ヶ丘を鷹岡と書きかえて村の名にしたのかもしれません。
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( 写真説明 ) 鷹岡本町通り

11.天間(てんま)
 天間村の産土神(うぶすなかみ)を天満宮と言いますが、村名の天間は天満宮の天満を書きかえたものと言われています。そのため初めは、天間村を天満村と書いたようです。天間沢遺跡に見られるように古くから人が住んでいました。また、源頼朝の富士の巻狩りや、鷹岡・厚原と同様に曽我兄弟に関する史跡や伝承が残っています。
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( 写真説明 ) 天間天満宮

12.荒田島(あらたじま)
荒田島1町内会長 近藤幸男(ゆきお)さん(津田町)
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 田島村から独立し、荒れ地を開墾したという意味で荒田島と呼んだようです。荒田島村、津田村、青島村などが合併して島田村と呼んでいた時期もありました。近くには外木(とのぎ)という大字もあります。
 昔は水がきれいで、家の近くで手長エビやタニシをとってよく遊んだものです。区画整理であたりの様子も大きく変わり、今では田んぼも少なくなり工場や家が多くなりましたね。

13.本市場(もといちば)
本市場3区区長 遠藤祐二さん(本市場町)
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 本市場は、早くから開発された村で、古くから「市」が立ったところなので「本市場」と呼んだと言われています。江戸時代には、吉原宿と蒲原宿との中間にある「間(あい)の宿」としてにぎわっていました。歴史あるお寺も多いですね。
私の小さいころは旧東海道より北側には民家もほとんどなく、富士山の眺めがすばらしかったですよ。

14.横割(よこわり)
上横割区区長 深澤俊夫さん(横割本町)
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 横割という地名は、伊藤八左衛門(やざえもん)が、八幡神社の横から開発を始めたことから名づけられたと言われています。また、富士駅南地区を小木(こぎ)の里とも言っています。富士川の河川敷だったころ、この地に小さい木が生えていたことから、小木と呼ばれるようになったようです。
 私の住んでいるところは区画整理で整備されましたが、昔からの横割の地名を残しました。長く住んでいるだけにやっぱり愛着がありますね。

15.今泉(いまいずみ)
 今泉村は源頼朝の富士の巻狩りのとき勢子(せこ)(動物を追い出す係)を多く出したことから勢子村と呼ばれたとされ、後に瀬古村と書かれました。戦国時代末期になると善得寺(ぜんとくじ)村と呼ばれ、寛文2年(1662年)に今泉村と改名されました。この付近に泉が多かったから今泉としたとも言われています。
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( 写真説明 ) 善得寺公園

16.伝法(でんぼう)
 明治22年、瓜島(うりじま)村などの8か村が合併して伝法村が誕生しました。伝法村はかなり古い時代からの村のようで、古くは久爾郷(くにのごう)と呼ばれていました。しかし、いつごろからどういう理由で伝法と名づけられたのかはっきりわかっていません。法照(ほうしょう)寺と関係があるのかもしれません。
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( 写真説明 ) 伝法小学校前

17.田子浦(たごのうら)
 田子浦村は明治22年3月、前田村など8か村が合併してできた村です。既に奈良時代からこの付近を田子浦と呼んでいました。田子とは、田んぼで働く農民の呼び名とも、塩をつくるときの垂寵(たご)から田子になったものであろうという説もあります。
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( 写真説明 ) 田子の浦港

18.岩松(いわまつ)
 岩松村は明治22年、岩本村と松岡村の合併のとき、その二つの頭文字を組んだのが由来です。岩本村はかなり古くから開けた村で、戦国時代には交通の要地でした。松岡村はもとは籠下(かごした)村と呼び、延宝2年(1674年)古郡氏がかりがね堤を完成して、堤の上に松を植えたことからその後は松岡と呼ぶようになったようです。
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( 写真説明 ) かりがね堤

19.森島(もりじま)
 江戸時代初期、古郡孫太夫(ふるごおりまごだゆう)重政が、かりがね堤の建設や加島新田の開発に情熱を傾けていたころのことです。横割の伊藤八左衛門の家で世話になっていた高沢道喜(たかざわどうき)が、重政から許可を得て開発をしたのが森島でした。初めは道喜島(どうきじま)と呼んでいましたが、後に幕府の命で、森島と改名されました。
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( 写真説明 ) 森島浅間神社

市内の地名 あれこれ
20.中里(なかざと)…須津庄(すどのしょう)の中心地であったことから。

21.比奈(ひな)…かつて姫名(ひな)郷と呼ばれていて、その音を表す言葉から、名づけられた。

22.和田(わだ)…源頼朝が行った富士の巻狩りのとき、和田義盛(よしもり)の家臣がここのとりでを守ってくれたという言い伝えがあることから。

23.御殿(ごてん)…徳川家康が鷹狩りのときに泊まった家があったという言い伝えから。

24.寺市場(てらいちば)…今川義元、武田信玄、北条氏康が会見した善得寺の門前町であったことから。

25.三ッ沢(みつざわ)…この地区を囲むように三つの沢があることから。

26.一色(いっしき)…自社または個人の所有地で国衙(こくが)(国の役所)の支配を受けず、税がとられない一色田(いっしきでん)となっていた土地であったことから。

27.石坂(いしざか)…ふじさんからの溶岩が露出した傾斜地であったことから。

28.瓜島(うりじま)…伝法瓜(西瓜)がよく実ったからという説がある。

29.加島(かじま)…島の集まりとも川の中の島だったからとも言われている。

30.柚木(ゆのき)1022年に大地震があり、柚の葉を全国に配ると地震がおさまり、その後、柚木村と呼ぶようになったという言い伝えがある。。

31.森下(もりした)…水神の森の下(南側)にあることから。

32.入山瀬(いりやませ)…富士山と岩本山の山あいから流れてくる水が、開けて瀬になっていたところから。
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( 写真説明 ) 古墳などの遺跡も残る三ツ沢
( 写真説明 ) 身延線柚木駅周辺


市内の地名ミニ知識
大字(おおあざ)と小字(こあざ)とは?
 字(あざ)とは市町村内の区画の名前で、大字と小字があります。小字は大字をさらに細かく分けた部分の名称です。大字と小字が存在するのは、市制町村制が始まり、既に字がある市町村が合併したときに、合併前の市町村名が大字となり字が小字となったことが主な理由です。

地区と町内会(区)の数は?
 現在市では、市内を吉原地区、今泉地区など24の地区に分けています。また、町内会(区)は347あり、塔の木(とうのき)、国久(くにひさ)など小字が町内会(区)名となっているところも多くあります。

●難しい読み方の地名
 次の地名は何と読むかご存じですか?
1.傘木(丘地区)  (からかさぎ)
2.立小路(今泉地区)(たてこうじ)
3.小須(田子浦地区)(おす)

「富士」の名前の由来は?
 「富士」の名前の由来にはいろいろな説があり、はっきりとしたルーツはわかっていません。
 「富士」の字が記されたもので最も古いものは、平城京で発見された木簡(もっかん)に「富士郡」の名が記されています(天平7年、735年)。古文書では、781年に桓武(かんむ)天皇の命によってつくられた「続日本紀(しょくにほんぎ)」に「富士山」の名が見られます。
 また、「常陸国(ひたちのくに)風土記」では「福慈」と、「万葉集」では、「布士」、「布自」、「不尽」、「不二」、「不自」などと、「竹取物語」では「不死」とも書かれています。
 平成12年、東名富士インターチェンジの南側に広がる古墳時代後期から奈良・平安時代までの大集落跡である東平(ひがしたいら)遺跡からは、「布自」と墨字で書かれた土器が出土しました。これは富士市にとっては名前のルーツが初めて確認できたものとなります。
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( 写真説明 ) 発掘された「布自」名墨書土器


静岡県文化財保存協会常任理事 小野眞一さん(境)
地名はその土地の歴史を知るための大切な手がかりです
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 市内の地名には、山、川、野や原など地形に関係するもののほか、動植物、岩石や地質に由来する地名も多く残っています。
 昔、富士川は大雨が降るたびに流れが変わり、砂州(さす)がいくつもできました。その名残で、五貫島(ごかんじま)、宮島(みやじま)、水戸島(みとじま)、中島(なかじま)など昔の富士川の下流域に当たるところでは、地名に「島」のつくところが多くあります。川成島は、字のとおり川によってできた島であることがわかります。
 集落に由来するものとしては、「新田」とついている地名は、江戸時代に開墾(かいこん)されたところです。三軒屋、四軒屋、四ッ家などの地名は、その地で農業を始めた農家の数をあらわしています。また、集落の中の位置や「主な道を境にして、上下や方角を地名につけることもよく見られます。そのほか、伝説や昔話にまつわるもの、豪族や土地の持ち主の名前に由来するものもありますね。
 考古学の世界では、遺跡が発掘されると、その地の小字を名前につけることが多くあります。地名はその土地の歴史を知るための大切な手がかりです。地名を読み解いていくといろいろな歴史がわかってくるものですよ。


学校に通っている皆さんにとっては、もうすぐ待ちに待った夏休み。今回紹介した以外にも市内には多くの地名があります。図書館に行ったり、家族や地域のお年寄に尋ねたりするなどして、私たちの住む街について調べてみてはいかがでしょうか。
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