大漁木(たいりょうき)やり唄(うた)
明治のころ、田子浦地区に住むほとんどの人たちは、農業と漁業を生活の糧としていました。漁業は沿岸漁業が中心で、地元の漁師が網を引いていました。
大正に入ると大謀網漁(だいぼうあみりょう)(大きな網を船で引いて、ブリやマグロなどをとる漁法で定置網の一種)が導入され、繁忙期になるとたくさんの人手が必要となりました。そのため、地元の漁師以外にも、遠くは東北地方から働きに来た漁師とも一緒に仕事をするようになりました。厳しい海の仕事をする漁師の心を、一つにするために生まれた労作歌(ろうさくか)が、「大漁木やり唄」と「沖上(おきあ)がり音頭」です。
昭和60年、中丸の海で生まれたこの郷土芸能を、伝統文化として後世に残そうと、地元有志12人が集まり『大漁木やり唄中丸保存会』が結成されました。漁の雰囲気を味わってもらおうと、約6メートルの船と網、大漁旗などを使い、その歌声を披露しています。会員は船で漁に出ていた人ばかりなので、網の引き方など当時の漁の様子が再現されています。
大漁木やり唄中丸保存会会長 味岡 政彦さん(中丸)
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大漁木やり唄と沖上がり音頭は、富士市の民謡の中でも、特に少ない海の労作歌です。毎月第3金曜日の夜は、公会堂で会員同士楽しく練習をしています。会員の数は13人、年代は50代が2人で後は70代・80代です。
保存会の主な活動としては、ふるさと芸能祭での発表や田子浦みなと祭り、稲荷神社祭典、文化祭での披露など、地元の行事を中心に活発に活動しています。また、田子浦中学校で「郷土芸能クラブ」を誕生させ、この民謡を教えたり、浜幼稚園の運動会で園児と一緒に演じたりと、地域に伝わる海の伝統を地元の子どもたちに伝えています。
海で培われたこの歌が、いつまでも伝承されるようこれからも頑張っていきますよ。
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( 図表説明 ) 地図・稲荷神社祭典3月3日(日曜日)
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( 写真説明 ) 浜幼稚園運動会での発表