富士本町通りから旧東海道を西へ400メートルほど向かうと、長さ5メートル、幅6メートルほどの「札の辻橋」に差しかかります。
今回はこの札の辻橋について紹介します。
平垣町の札の辻橋
岩本山を背にした実相寺は、今から800年ほど前の久安(きゅうあん)年間に、鳥羽法王の仰せにより建てられたと言われています。当時は「西に比叡山、東の実相寺」とまでうたわれた、全国でも名高いお寺でした。寺には、49院、500の僧坊があり、何百人もの修行僧が勉学し、ここで生活を送っていました。
昔の実相寺の敷地はとても広く、一方一里(約4キロ)あり、その寺領は南は現在の札の辻橋付近まで及んでいたと言われています。このあたりに実相寺の山門のようなものがあり、お寺に参拝に来た人々がこの付近でお札を買ったことから「札の辻」という名がつけられたようです。
一般的に、「札の辻」とは、制令(禁令の箇条を記した立札)を立てておいた辻のことを言い、現在でも地名として残っているところがあります。
平垣町にお住まいの海野 嘉一(かいち)さん
- 写真あり -
札の辻橋は、大正5年3月に竣工されました。橋にはもともと鉄製の立派な欄干がありましたが、戦争中に、鉄の部分は資源として国に寄付してしまいました。
来年は、東海道宿駅制度が制定されてから400年目になりますが、旧東海道の通っている平垣町も、昔から道路はきれいに整備されていました。橋の周辺も、交通量がふえたくらいで、今と昔とではあまり変わっていませんね。
札の辻のいわれも、語り継ぐだけではいつかは忘れられてしまいます。何か形として残るものをつくりたいと思い、昭和50年、平垣町の有志一同で、橋のそばに札の辻のいわれを示した「札の辻跡」という石碑を立てました。子供たちにもこの由緒ある「札の辻」のことを伝えていきたいですね。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図
- 写真あり -
( 写真説明 ) 札の辻跡の碑
( 写真説明 ) 札の辻橋