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【広報ふじ平成12年】富士の民話 あれこれ

 宮下区の皆さんは、毎年10月27日ころになると宮下神社に集まり、共同炊事した食事をとります。この行事を水神待(すいじんまち)と言います。今回はこの水神待について紹介します。

宮下の水神待
 古い書物によると、宮下には約800年前から集落があったとされています。富士川は現在ではおとなしい川ですが、昔は蛇行をしており、水量も多く、大変な暴れ川でした。このため、宮下をはじめ富士川東側地区の歴史や人々の暮らしは、絶えず水との戦いでした。
 江戸時代に入り、かりがね堤が完成してからは水害は少なくなったものの、それでも明治2年・15年・29年・43年に大水害がありました。特に明治43年8月の大水害は、宮下区の家のほとんどが全滅するという大災害でした。
 人々は、そのたびに強い意思で復旧に努め、現在の街の基礎ができていきました。
 毎年10月27日に行われる水神待は、こうした多くの試練を乗り超えてきた祖先の生活の中から生まれた行事です。人々は神社に水神様をお祭りし、水害に遭わないよう祈念する一方で、1年の無事を感謝しています。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図

宮下区 区長 上田 睦(むつみ)さん(宮下)
- 写真あり -
 水神待は水神祭とも呼ばれていて、秋の収穫の喜びと水神様への感謝のお祭りです。毎年10月27日が水神待の当たり日となっていますが、現在は27日前後の日曜日に行っています。水難記念碑の前で神事が行われた後、当番地区が用意した茶飯とおけんちゃん(けんちん汁に似た食べ物)を、それぞれがはしと茶碗を持参してみんなで食べます。
 富士川の源平合戦のとき、戦勝の祈念に宮下神社に立ち寄った源氏の兵を、地元の人々が茶飯とおけんちゃんでもてなしたという言い伝えがあり、それ以来続いている行事だとも言われています。昔は1軒1軒からお米や野菜などを出し合っていましたが、現在は農家も少なくなり、参加する各家からお金を集めて材料を購入しています。
 水神待は、ほかの地区にはない、伝統ある宮下の独特な行事です。地域の子供たちや新しくこの地に移り住んだ人たちにも伝え、これからもずっと残していきたいですね。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 宮下神社の水難記念碑
添付ファイル
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