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【広報ふじ平成12年】富士の民話あれこれ

 吉原高校の西100メートル付近の丘から、西へ向かう下り坂があります。この坂の中ほどには「源太坂」という碑があり、源頼朝の家来で、有能な二人の武将梶原源太景季(かげすえ)と、佐々木四郎高綱(たかつな)の馬比べの物語を伝えています。

源太坂
 源氏の大軍が、京都に向かうときの話です。
 そのころ頼朝(よりとも)は、生食(いけづき)と磨墨(するすみ)という2頭の名馬を持っていました。梶原源太景季(かげすえ)は、頼朝に「私に生食をください」と願い出ましたが、生食をもらうことはできず、やっとのことで磨墨をもらいました。しかし、後から頼朝にあいさつに行った佐々木四郎高綱(たかつな)が「私に生食をください」と願い出たところ、頼朝は案外簡単に生食をくれました。
 それを悔しく思った景季は、今泉の小高い丘で高綱を待ち構え「殿から生食をもらってきたのかと、問い詰めました。差し迫った気配を感じた高綱は、笑いながら小声になって「あなたが欲しいとお願いしてもだめだった生食を、私などがお願いしても、とうていもらえる望みはないと思ったので、昨日の明け方、そっと盗んできたのだ」と言いました。それを聞いた景季は、急に顔を和らげて 「そうだったのか。ならば私も盗めばよかった」と笑いながら引き揚げていきました。
 その後、生食と磨墨の2頭の名馬は、宇治川の先陣争いで互いに競い、立派な手柄を立てたそうです。
- 図表あり -
( 図表説明 ) 地図

増田 みつ子さん(国久保1丁目)
増田 徹夫さん(国久保2丁目)
- 写真あり -
 馬比べの話は直接聞いたことはないのですが、源太坂の石碑は源平の戦いを伝える碑だと聞いたことがあります。
 現在は、吉原高校の前から続く広い道を源太坂と呼んでいますが、昔は、石碑の前を通り西側(国久保1・2丁目)に下る狭い坂のことを言いました。今では舗装もされてきれいな道になりましたが、昔は大きな岩や石が飛び出したような、ごつごつとした歩きにくい道でした。道幅も、今の半分くらいだったと思います。あたり一面は田畑で、道の周りにはサトウキビなどが植えてあり、家などは全くありませんでした。街灯がなかったので、夜歩くのはとても怖かったです。数人で肩を組みながら歩いたりしました。
 しかし、高台には段々畑や梅林が広がり、北には富士山、坂の下は広く開けた平野で、とても眺めのよいところでしたよ。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 昭和20年代の源太坂
( 写真説明 ) 現在の石碑(右)とその付近の様子
添付ファイル
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