昭和60年11月19日、富士市は核兵器廃絶平和都市を宣言しました。この宣言からことしで15周年。世界ではいまだ核兵器の脅威から解放されていない中にあって、核兵器の廃絶と戦争のない平和な社会は全世界の人々にとって大きな願いです。平和都市宣言は、戦争のない平和な社会の実現に向けて、市として核兵器廃絶と平和への願いを内外にあらわしたものです。
21世紀への橋渡しの年を迎え、平和都市宣言を通して、戦争と平和について考えてみませんか。
核兵器廃絶平和都市宣言
戦争の惨禍(さんか)をなくし 世界の恒久(こうきゅう)平和を実現することは 全人類の願いであり 世界で初めての被害体験を持つ日本国民の悲願である しかしながら 核軍備拡大競争は 依然として進み 平和に対する 深刻な脅威(きょうい)と 戦争の危険は後退していない
富士市は 平和憲法のもとで 平和で明るい生活を享受(きょうじゅ)するため 市民憲章を制定し 市民の行動原理として培(つちか)ってきている 富士市民は 戦民をなくし 真の平和を実現するための努力を明らかにし 富士山のように 広く 美しく 高く たくましく 正しく生きることを悠久の理想として 非核三原則を遵守(じゅんしゅ)し すべての核兵器を求めることを市民の総意とする平和都市を ここに宣言する
昭和60年11月19日 富士市
核兵器廃絶平和都市宣言までの歩み
昭和57年3月24日
市議会本会議で、「核兵器全面撤廃と軍縮に関する意見書」を全会一致で議決。
昭和59年3月
定例市議会で、平和都市宣言に関する議員発言に対し、「市民運動による燃え上がるような熱意を背景に宣言してこそ価値がある」と市長が答弁。
昭和59年6月
定例市議会で、公務員共闘会議から請願のあった平和都市宣言について審議。不採択となる。
昭和59年8月
「くらしと平和を考える市民のつどい実行委員会」がイベントを開催。草の根的な平和国体が結集し、各種イベントを行い市民にアピール。
昭和60年4月〜5月
市民のつどい実行委員会が平和都市宣言賛同人の獲得に着手。5月15日、「非核平和都市宣言を求める富士市実行委員会」結成に向けて第1回準備会を開催。
昭和60年7月〜8月
請願署名の獲得のため署名運動が実施される。
昭和60年9月5日
非核平和都市宣言を求める富士市実行委員会(請願者代表・落合巳代治(みよじ)氏ほか7万2,902人)から紹介議員10人の連名署を添えて「核兵器廃絶平和都市宣言」採択の請願書が提出され満場一致で採択。
昭和60年11月5日
「核兵器廃絶平和都市宣言」について市議会は会派代表者会議を開催。
昭和60年11月19日
市議会本会議で、市長提案による「核兵器廃絶平和都市宣言」を満場一致で議決。
核兵容廃絶平和都市の宣言に向けて、市民団体の中心となって活動した落合巳代治(みよじ)さんにお話を伺いました。
「非核平和都市宣言を求める富士市実行委員会」で代表を務めた 落合巳代治さん(瓜島町)
- 写真あり -
市民を代表する議会の場で「核兵器廃絶平和都市宣言」を
私自身、戦争により親せきや同級生を亡くすなど、戦争の悲劇を体験してきました。そのため、戦争のない平和な社会への思いは強く、戦後、平和運動に長い間携わってきました。核戦争反対の声を大きくしてそれを国際世論に訴えるためには、それぞれの地域で市民全体の合意に基づく意思表示が必要です。それには市民を代表する議会の議決によってそれを表現する手続をとらなければなりません。
昭和59年、市議会で非核平和都市宣言に関する動きが出た後、平和運動に携わる仲間と一緒に「くらしと平和を考える市民のつどい実行委員会」を発足させました。
その年の8月には、反戦反核平和週間を自主的に設定し、戦争のアニメ映画の上映をしたり、平和座談会・原水爆写真展を開催したりするなどして市民の皆さんにアピールしました。
昭和60年には、より多くの市民の平和を願う声を届けるために、平和都市宣言の賛同を得ることを始めました。市内の各団体の代表、たとえば連合町内会長や婦人会長、商工関係者など155人もの皆さんから賛同を得ることができました。そして団体を通じてや街頭などで署名を呼びかけました。その結果集まった署名は7万3,000余り。市内ではそれまでで一番多く集まった署名だったと思います。
それでこの署名を受けて、そのまま議会が可決するのではなくて、市長がこれを受けて市長提出という形をとり、9月定例市議会で全員賛成で承認されました。また、宣言文はそこで決めてしまうのではなく、市民代表による審議会をつくり、その会を経て、11月19日の本会議で決まりました。この経緯は核兵器廃絶平和都市を宣言したほかの自治体と違うところだと思います。
継続的な平和運動にしてほしい
平和な社会は全人類の願いです。ですから平和運動は特定の主義や考えに支配されるものではなく、全市民が参加する平和運動をつくっていきたいと思ってきました。「非核平和都市宣言を求める富士市実行委員会」は宣言後、「核兵器廃絶平和富士市民の会」として新しいスタートを切りました。一時的な平和運動ではなく、継続的な平和運動にすることが大切だと思います。今後、あらゆる団体が活動方針の中へ平和の問題をまず第一に取り上げるようになってほしいですね。
●宣言後の取り組み●
平和都市宣言後、市では、核兵器廃絶平和都市宣言塔やモニュメントの設置、啓もう品の配布など宣言都市のPR活動に努めています。また、日本非核宣言自治体協議会に加入。核実験を行う国々に対し、抗議文を送付するなどしています。
また、宣言の内容を具体的に行動していこうとする市民団体により、戦争の悲劇を風化させず、平和な社会を願った平和活動が繰り広げられています。
- 写真あり -
( 写真説明 ) 「平和のための富士戦争展」。ことしは8月10日〜15日にロゼシアターで開催されます
( 写真説明 ) 平成7年11月19日に行われた「核兵器廃絶平和都市宣言十周年記念集会」
( 写真説明 ) 富士市は宣言の翌年「非核宣言自治体協議会」に加入。非核宣言をした自治体間の協調を図っています
( 写真説明 ) 戦争体験を語り継ぐ市民の会「富士語りべの会」例会
( 写真説明 ) 合唱曲に平和への願いを込めて歌い続けている「親と子のぞうれっしゃ合唱団」
( 写真説明 ) 「広報ふじ」で毎年平和について取り上げたり、花の種や下じきなどを配布したりするなど、市では核兵器廃絶平和宣言都市のPR活動を行っています
平和に関する視聴覚資料をお貸しします
広報広聴課 内線2822
★ビデオテープ
・教えられなかった戦争〜侵略・マレー半島(110分)
・証言侵略戦争人間から鬼へ、そして人間へ(43分)
・核戦争後の地球第1部(30分)「地球炎上」
・核戦争後の地球第2部(30分)「地球凍結」
・火垂(ほた)るの墓 (90分)
・にんげんをかえせ (20分)
・君知ってる?首都炎上 アニメ東京大空襲(18分)
・はだしのゲン (90分)
・はだしのゲン2(90分)
・ヒロシマに一番電車が走った(30分)
・つるにのって とも子の冒険(27分)
・見上げればひまわり 千恵子さんとともに(30分)
・チェルノブイリ・クライシス 史上最悪の原発事故(57分)
・さよならカバくん(25分)
・おばけ煙突のうた(42分)
・十六地蔵物語(26分)
・沖縄 第1部「1坪たりともわたすまい」(75分)
・沖縄 第2部「怒りの島」(120分)
・おかあさんの木(20分)
・なっちゃんの赤いてぶくろ(18分)
・青い目の人形物語(30分)
・対馬丸(75分)
・かっ飛ばせ・ドリーマーズ カープ誕生物語(86分)
・一つの花(23分)
★十六ミリ映画フィルム
・核戦争後の地球第1部「地球炎上」(30分)
・核戦争後の地球第2部「地球凍結」(30分)
・おこりじぞう(27分)
・おかあさんの木(20分)
・100番目のサル(20分)
・核戦争(15分)
( )内は放映時間
「核兵器廃絶平和富士市民の会」会長の小長谷保(こながやたもつ)さんに平和を訴える活動のことなどお話を伺いました。
「核兵器廃絶平和富士市民の会」会長 小長谷 保さん(御幸町)
- 写真あり -
平和都市宣言をきっかけに結成
「核兵器廃絶平和富士市民の会」は、平和都市宣言をきっかけに、それまで推進活動を続けてきた市民団体をもとにして結成された団体です。
毎年11月に開催する「核兵器廃絶平和都市宣言記念集会」、8月に実施する「平和のための 富士戦争展」、「平和のための親子バスツアー」が会の活動の中心です。
平和都市宣言が出された昭和六十年当時と現在では、世界情勢が大きく変わり、核保有国の状況など核兵器をめぐる問題も変化してきました。それに伴い、活動のスローガンは変化してきています。しかし、核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さ、平和のとうとさを訴え続ける会の基本的な姿勢は変わっていません。
社会が平和になれてきてしまっている状況ですが、戦争や核兵器の恐ろしさを改めて確認し、平和を求める気持ちを忘れずに持ち続けることがこれからも必要です。会がこれまで活動を続けてこられたのも、平和への強い願いを持つ皆さんの力があったからこそと思っています。
平和の大切さを忘れない運動を
バスツアーを始めたころ参加してくれた中学生が、平和運動に携わっていることを知って、とても励みになったことがあります。会のメンバーからは徐々に戦争体験者が減っているという現状ですが、戦争を体験していない皆さんが会の活動へ参加し、核兵器の廃絶や平和への関心を高めていただけるとうれしいですね。
まもなく21世紀を迎えますが、会として毎年行っている活動を中心に、平和の大切さを忘れないような運動をこれからも続けていきたいと思います。
また、若い人たちが私たちが思いもつかないような形で、新しい平和運動を展開してくれることを期待しています。
多くの悲劇を生んだ戦争。その戦争から早くも半世紀以上がたちました。「核兵器廃絶平和都市」を宣言した私たちの街・富士市。この宣言は、地球上で唯一被爆した国に住む市民として、核兵器が地球上からなくなる日を願い、平和への歩みを重ねていく努力を明らかにしたものです。
戦争のあった20世紀最後の夏、改めて「戦争」や「平和」とは何かを考え、新しい世紀に向かって「平和」の意味について話し合ってみませんか。