今泉の十王子神社の境内に「曽我堂」と呼ばれるお堂があります。このお堂の中には、曽我物語で知られる曽我兄弟の弟・曽我五郎の木像を祭ってあると言われています。
今回は、この曽我堂に伝わる話を紹介します。
今泉一の宮の曽我堂
今から500年くらい前のことです。
今泉に善徳寺という臨済宗の大きなお寺がありました。そのお寺の竺帆和尚(じくはんおしょう)というお坊さんが、ある晩夢を見ました。それは、富士の巻き狩りのとき、親のかたきを討った曽我五郎の亡霊が、善徳寺の門前に立ち、竺帆和尚にぜひ会いたいと言いました。和尚は、五郎を本堂に入れ、話を聞きました。五郎は、「私は今地獄の修羅道(しゅらどう)で、成仏できなくて困っています。どうか、あなたのお力で、私を成仏させてください」と言うので、和尚は、「よろしい。私の法力で必ず成仏させてやるから静かに待っていなさい」と言いました。
五郎の亡霊は、にっこり笑って姿を消しました。竺帆和尚は、それから三日三晩、寝ずに五郎の木像を刻み、ほこらを建てて、その中に木像を祭り、毎晩お経を上げて五郎の魂を供養しました。そして毎年5月28日には盛大な祭典をしたそうです。
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( 写真説明 ) 曽我堂
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( 図表説明 ) 地図
十王子神社前氏子総代代表
鈴木 徳治(とくじ)さん(今泉5丁目)
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今ではお堂の中に木像はありません。また、史誌などによると、曽我堂は昔、この町内にある曽我小路(そがこうじ)と呼ばれる小路の奥にあったということですが、いつごろまであったのかなど、ほとんど伝えられていませんね。
私が子供のころは、よく十王子神社で遊び、鬼ごっこで曽我堂の中に隠れたりしたものです。そのころは、お堂は拝殿のすぐ東側にあったのですが、昭和15年に火事があって、今の場所に移されたのです。そして、昭和30年に吉原二中の校舎を増設する際、なぜかお堂の中に山の神様も入れて合祠(ごうし)するようになりました。
毎年1月15日には、この町内で山の神様の祭りを行い、曽我堂を開帳します。しかし、山の神様は知られていますが、若い人など曽我さんのことを知らない人が多いのではないでしょうか。