このコーナーは富士地区2市1町(富士市・富士宮市・芝川町)にかかわりのある広範な情報をお知らせします。
第2回目の今回は、富士地区の紙の歴史の紹介です。
富士山からの恵み“水” 富士地区・紙の歴史
富士地区の代表的な産業といえば製紙。紙の歴史は、江戸時代に生産された駿河(するが)半紙と呼ばれる手漉(す)き和紙から始まりました。この地域に紙漉きが広がったのは、富士山からわき出る豊富な水と紙の原料である三椏(みつまた)が自生していたから。時代とともに駿河半紙は姿を消しましたが、富士山からの贈り物である水のおかげで、富士地区では現在まで紙づくりの歴史が続いています。
富士宮
白糸の滝に三椏栽培記念碑が建てられていることをご存知ですか。
この地域は、江戸時代中ごろから富士山に自生している三椏を使用した手漉き和紙の生産が盛んでした。「白糸村誌」によると、天明元(1781)年に渡辺兵左衛門が富士山を歩いているときに三椏を発見し、村人たちに和紙をつくることを勧めたと言われています。明治時代になると、三椏は紙幣用紙の原料として使われるようになり、白糸村では官林三百町歩(束京ドームグラウンドの約230倍)を借りて大規模な三椏栽培を進めました。
このような経緯から、この地に記念碑が建てられたのです。
富士
富士市の製紙業は、明治12(1879)年に手漉き和紙工場鈎玄(こうげん)社がつくられたことから始まりました。そして、明治23(1890)年に富士製紙会社第一工場が入山瀬にできたことをきっかけに近代製紙へと移り、富士山麓(ろく)からわき出る地下水によって現在まで発達しています。現在市内には71社・95工場が立ち並び、日本一の「紙の都」と言われています。
紙の都・富士市で一番力を入れているのが古紙のリサイクル。市内の中小製紙会社で生産しているトイレットペーパーはすべて再生紙製品です。そしてその生産量は日本一を誇っています。
芝川
近代製紙の発達とともに、手漉き和紙をつくる人がいなくなる中、芝川町上柚野(かみゆの)に工房を開き、手漉き和紙をつくっている内藤恒雄さんを紹介します。
内藤恒雄(つねお)さん
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霊峰富士のふもとで、日本独自の世界に誇れる手仕事である手漉き和紙の仕事がしたいと思い、この地に工房を開きました。ここでは、自家栽培の楮(こうぞ)や三椏などを主原料に、富士山の水を使い、漉いた和紙は天日乾燥するという昔ながらの製法をしています。
でき上がった手漉き和紙は時間や季節によって微妙にその顔を変えます。特に冬は水も無菌状態になり、よい和紙ができますね。その和紙ごとに味があるのが魅力ですが、あくまで和紙はそれを使う人の素材である事を忘れてはいけないと思っています。
この工房では実際に紙を漉くことができます。これを機会に和紙の魅力を知ってもらえればと思います。
問い合わせ 柚野手すき和紙工房 電話0544-66-0738 (手漉き体験は予約制です)