柏原のうなぎの蒲焼き
江戸時代、東海道五十三次の吉原宿と原宿の間に、間(あい)の宿「柏原」がありました。
今回はその柏原宿の名物となっていた「うなぎの蒲焼(かばや)き」について紹介します。
吉原宿と原宿の間が三里六町(現在で言うと約12キロメートル)もありましたので、この中間に当たる柏原に休憩所として間の宿ができました。
この柏原宿には幕末まで10軒の茶屋があり、どこも浮島沼でとれたウナギやナマズの蒲焼きを名物に繁盛していました。
弥次(やじ)さん喜多(きた)さんの旅物語として有名な、十返舎一九(じゅぺんしゃいっく)の『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』の中にも、柏原宿の名物「うなぎの蒲焼き」が登場します。二人はあおぎ立てる蒲焼きのにおいに鼻をひくひくさせて、「蒲焼きのにおいをかぐも、うとましや、こちら二人は、うんなぎの旅」と言って、「ウナギ」と「難儀(なんぎ)」をかけ、においをかぐだけでがまんして通り過ぎなければならなかったことが書かれています。
明治の初めに宿場制度が廃止されたことで、柏原宿はなくなりましたが、数軒の茶屋は細々と店を開けていたようです。しかし、明治22年に東海道線が開通すると客足はぱったりと減り、茶屋は次第になくなっていきました。
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( 写真説明 ) 明治初めころの柏原の様子
( 写真説明 ) 現在の柏原付近
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( 図表説明 ) 地図
柏原町2丁目町内会長 馬場 澄夫さん(柏原町2)
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柏原宿は今のJR東田子の浦駅の西側にあったということを聞いています。小さいころは浮島沼や近くの堀にいる魚をとるために置き針を仕掛けたり、水が減ったときには手づかみでとったりするなどして遊びました。大雨の翌日などには沼から出てきたウナギやフナ、コイなどがとれました。ウナギをとるのはとても難しかったですが、中にはウナギをとることを本業にしている人もいましたよ。
当時もウナギはぜいたくな食べ物でした。捕まえてくると、母親が蒲焼きにしてくれて、みんなでおいしく食べたことを覚えています。