新浜の備前さん
田子浦地区の新浜に「備前さん」と呼ばれるお堂があります。ここには、備前の国から幕府の御用米を積んできて転覆した船の乗組員を祭っています。
今回はこの「備前さん」にまつわるお話を紹介します。
昔、備前の国(現在の岡山県の一部)から、幕府の御用米を積んできた船がしけに遭い、航路を間違えて駿河湾に入ってしまいました。そこで仕方なく田子浦港へ入ろうとしました。しかし、田子浦へ流れ込む富士川は日本でも指折りの急流です。船は転覆し、ほとんどの乗組員が海に落ちて亡くなってしまいました。その死体は、大部分が新浜に上がりました。生き残った乗組員と新浜の人々は、石塔を建て、亡くなった乗組員たちを手厚く供養しました。
ところが、長い年月が過ぎ、たび重なる天災も手伝って、石碑はすっかり埋もれてしまい、人々の記憶からも消えてしまいました。
ある年、この付近に悪い病気がはやって、人々は大変困っていました。次の年になっても、病気は一向におさまりません。そんなある日、新浜の信心深い老人が「あの石塔を祭ってあげなければいけない」と言いました。新浜の人々は、早速お堂を建て、再び供養することにしました。するとその次の年から、病気はぴたりとなくなったということです。
それからそのお堂は「備前さん」と呼ばれ、人々は身の安全や大漁を祈るようになり、いつの間にか願い事がかなうと言われるようになりました。現在は「金比羅さん」やほかの神様とともに、大切に祭られています。
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( 写真説明 ) 「備前さん」を祭る境内
新浜の歴史に詳しい 岩山 勝(まさる)さん(川成島)
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「備前さん」は大正初期までは大小二つの墓碑のみでしたが、変遷を重ね、昭和22年に今の場所に移動しました。そのとき境内に敷いた石は、新浜区民が一軒当たり20個の石を海岸から拾ってきたものです。そのころは、「備前さん」に身の安全や大漁を祈る人が多かったですからね。
また、新浜の海岸は海難事故が多いところでした。昔は浜で事故が起きたり、台風などで被害が出たりすると、村中総出で助けに行ったものです。明日は我が身、という思いでした。
昔はみんな信心深く、思いやりがあって、そこに住む人々の気持ちがまとまっていたんですね。